新田荘城館(にったのしょうじょうかん)
新田荘城館の基本情報
通称・別名
- 新田荘城館[反町館・江田館]
所在地
- 群馬県太田市新田反町町896-1他(地図は反町館を示す)
旧国名
- 上野国
分類・構造
- 城館遺跡群
天守構造
- -
築城主
- 新田義貞[反町館]、江田頼有[江田館]
築城年
- 14世紀前期[反町館]、13世紀前期[江田館]
主な改修者
- 矢内四郎左衛門[江田館]
主な城主
- 新田氏、市野井氏、大館氏[反町館]、江田氏、矢内氏[江田館]
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、虎口、横堀(空堀)、横堀(水堀)[すべて]
指定文化財
- 国史跡(新田荘遺跡)
再建造物
- 石碑[すべて]、説明板[すべて]
周辺の城
-
下田島城(群馬県太田市)[3.9km]
三ツ木城(群馬県伊勢崎市)[4.5km]
新田金山城(群馬県太田市)[6.3km]
久永氏陣屋(群馬県伊勢崎市)[6.5km]
彦部屋敷(群馬県桐生市)[8.8km]
新田荘城館の解説文
[引用元:Wikipedia「新田荘城館」の項目]新田荘遺跡(にったのしょういせき)は、上野国新田郡(群馬県太田市)にあった荘園新田荘に関わる遺跡。荘域は上野国新田郡全域・勢多郡・佐位郡・武蔵国榛沢郡の一部に及び、おもに大間々扇状地と利根川左岸氾濫原からなる。『延喜式』には上野国新田駅、『和名類聚抄』では新田郡駅家郷と記されている。中世武士団新田氏一族の根源地として成立し、長楽寺文書、正木文書によって文献史料の裏付けを可能とする東国の中世荘園として稀有な例である。2000年(平成12年)、新田氏遺構群のうち11箇所が国の史跡に指定され、「新田荘遺跡」として保存されている。
【史跡新田荘遺跡】
新田氏遺構群のうち下記の11箇所が新田荘遺跡として国の史跡に指定されている。
・円福寺境内(太田市別所町)
・十二所神社境内(太田市別所町)
・総持寺境内(太田市世良田町)
・長楽寺境内(太田市世良田町)
・東照宮境内(太田市世良田町)
・明王院境内(太田市安養寺町)
・生品神社境内(太田市新田市野井町)
・反町館跡(太田市新田反町)
・江田館跡(太田市新田上江田町)
・重殿水源(太田市新田市野井町)
・矢太神水源(太田市新田大根町)
【参考文献】
・千々和実編『新田氏根本史料』(旧版『新田義貞公根本史料』群馬県教育会)
・群馬県史 資料編5 中世I 古文書・古記録
・新田町史 第4巻 特集編 新田荘と新田氏...[続きを見る]
新田荘城館の口コミ情報
すずママ木工頭合戦不参加様[2016年05月08日]
生品神社は新田義貞が元弘3(1333)年5月8日に鎌倉攻めで挙兵した場所とされ、その際、鎌倉の方角に矢を放ち吉凶を占ったとの故事から、鏑矢祭は毎年この日に行われている
(産経ニュース 2015.5.9 07:06より転載)
鏑矢祭申年限定御朱印を300円でいただけた。(神社の〈申〉が朱書きになっていて、鏑矢祭と書いてある特別仕様。)
通常の御朱印は宮司さんがおられないので作り置きのものになります。
御朱印帳への直接記入を希望であれば事前連絡をオススメします。
まー宮内卿様[2015年09月08日]
江田館は発掘調査中で周りの土塁や堀しか見ることができません。休日は発掘調査していませんから土塁に登りロープの外側から覗くといいかと。周遊コースを歩けば土塁、堀を見ることが出来ます。駐車場は空き地利用。
牢屋見廻り同心マダオ様[2015年08月15日]
新田荘遺跡11ヶ所は以下の通り。
①円福寺…別所町387-1他
②十二所神社…別所町559他
③総持寺(新田館)…世良田町3201-4他
④長楽寺…世良田町3116-3
⑤世良田東照宮…世良田町3119-1他
⑥明王院(安養寺館)…安養寺町199-1他
⑦生品神社…新田市野井町640他
⑧反町館…新田反町町894他
⑨江田館…新田上江田町924-4他
⑩重殿水源…新田市野井町1472-1
⑪矢太神水源…新田大根町224
他にも新田氏ゆかりの史跡が数多くあります。
土塁ルイ様[2015年06月20日]
この付近は関ヶ原後、津軽藩の飛び地であり、陣屋のあった大舘(太田市大舘町)は、三代津軽信義の生誕地です。
また東楊寺は、二代信枚室・辰姫(石田三成三女、高台院養女、信義生母)の墓所でもあります。
鎌倉幕府倒幕や徳川氏発祥の地として知られたエリアですが、石田三成と津軽家の関係がうかがい知れる場所でもあります。
永眠武蔵守釋 葱進様[2015年06月04日]
江田館跡は反町館跡と3.4kmほど離れています。
車は数台なら駐車スペースあり。
江田館跡:太田市上江田町925