田中氏館

田中氏館([新田荘城館  周辺城郭])

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田中氏館の口コミ情報

2025年07月27日 マグロ常陸介祐平


田中山長慶寺が館跡となります。長慶寺の由来の説明板には、
・千利休の千家は、もと田中姓を名乗り、新田義重の子の里見太郎義俊の五男田中五郎義清の末孫と伝えらるている。
・田中義清はこの村に居住し、長慶寺は館跡とされている。
・古くは壮厳で大きな寺であったが、新田氏滅亡後は荒廃し、宝篋印塔を残すのみとなっている。
・長慶寺の名の由来は、南朝第三代長慶天皇を新田一族が奉じて戦い、御陵塚の祭主となったことで放光寺から長慶寺に改号したと伝えられる。
・新田義兼の遺領を継いだ新田尼が、孫の岩松時兼に地頭職を譲られた際に、田中郷は除外されており、里見田中系が続いたと思われ、義清の館跡と裏付けられる。
としています。

その後、田中氏は他の新田一族とともに越後に移り、越後新田党を形成しますが、宗家の新田義貞が挙兵すると馳せ参じ、南朝側として活躍します。室町時代初期になると、越後から田中に戻り、古河公方家や由良家に仕え、子孫は高崎藩士になるものもいたようです。また、千利休の家は、利休の祖父の田中千阿弥が戦により新田から大阪に行き、足利義政の同朋衆となり、後に堺で商人になったとされるようです。

お寺の本堂裏には、土塁の痕跡が残っています。また、本堂西側には、初代田中義清の供養塔の他、長慶天皇の供養塔も存在します。国の史跡である新田荘遺跡江田館からは、わすが600m程のところに位置しています。観光案内ではあまり紹介されていないお寺(館跡)ですが、江田館を訪れた際は、立ち寄られるのがよろしいかと思います。

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