生品神社 新田義貞挙兵伝説地
生品神社 新田義貞挙兵伝説地([新田荘城館 寺社・史跡])
新田荘城館 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:寺社・史跡)、「生品神社 新田義貞挙兵伝説地」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
生品神社 新田義貞挙兵伝説地の口コミ情報
2019年09月24日 牢屋見廻り同心マダオ
新田義貞が後醍醐天皇の綸旨を受けて、元弘三年(1333)五月八日、鎌倉幕府(北条氏)討伐の旗挙げをしたところが生品神社境内です。昭和九年に建武の中興六百年を記念しつ「生品神社境内新田義貞挙兵伝説地」として史跡に指定されましたが、平成十二年に「新田荘遺跡 生品神社境内」として、面積を広げて指定されました。義貞が旗挙げを行った時はわずか百五十騎でしたが、越後の新田一族などが加わり、たちまち数千騎となって、十五日間で鎌倉幕府を攻め落としたといわれています。
神社境内には旗挙げ塚、床几塚があり、拝殿の前には義貞が旗挙げの時に軍旗を掲げたと伝えられるクヌギの木が保存されています。現在では、義貞挙兵の故事にならい、毎年五月八日、氏子によって鏑矢祭が行われています。この行事は古くから神社に伝わるもので、旗挙げの時に鎌倉攻めの吉凶を占ったといわれています。平安時代に編集された「上野国神名帳」に「新田郡従三位生階明神」と書かれていることから、神社は平安時代には存在していたと推定されます。
(現地説明板より)