三ツ木城(みつぎじょう)
三ツ木城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 群馬県伊勢崎市境三ツ木
旧国名
- 上野国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 根岸助国
築城年
- 永禄年間(1558〜1570)
主な改修者
- -
主な城主
- 根岸氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
下田島城(群馬県太田市)[4.4km]
新田荘城館(群馬県太田市)[4.5km]
久永氏陣屋(群馬県伊勢崎市)[6.1km]
那波城(群馬県伊勢崎市)[7.6km]
本庄城(埼玉県本庄市)[7.9km]
伊勢崎陣屋(群馬県伊勢崎市)[8.4km]
岡部陣屋(埼玉県深谷市)[8.7km]
深谷城(埼玉県深谷市)[9.0km]
庁鼻和城(埼玉県深谷市)[10.1km]
新田金山城(群馬県太田市)[10.7km]
三ツ木城の口コミ情報
2023年06月12日 マグロ常陸介祐平
徳川義季公館[三ツ木城 周辺城郭]
縁切寺として有名な満徳寺の北側、徳川東照宮の東隣が館跡となります。遺構はありません。
徳川東照宮の由来によると、徳川義季から八代目の親氏(松平氏初代)が室町幕府による新田氏残党追捕により出国の際、生田隼人に徳川郷を預け生田氏が郷主となり、家康が関東に移封後の天正十九年、生田家十六代義豊が家康に謁見し、徳川系図の提出と生田から正田への改姓、後に徳川郷へ300石の寄進(正田隼人家の取り分は内60石)と館跡への居住許可を受けたとあります。美智子上皇后様は、この正田隼人の御子孫(この家から分家)に当たります。嫡流の御子孫は現在も館跡にお住いです。
親氏が出国後(真偽は別として)も徳川氏は存続したようで、成田家分限帳(天正十年)には徳川茂左衛門の名が岩松内記(庶流でしょう)と並び記載されています。天正十年といえば、本能寺の変の年で、上杉、武田、織田に蹂躙された上州の武士と思われる名字が分限帳には他にも多数見られます(徳川氏など新田一門の名字が多いのは尚純追放の影響?)。茂左衛門本人又は数代前の先祖が徳川の地に居住していた可能性もあるように思われます。何故か正田隼人が家康に謁見する前、天正十八年の忍城の戦いの時点で岩松内記の名はありますが徳川茂左衛門の名は見られなくなります。
岩松守純(本家)が家康に謁見の際、家系に関する失言により20石(後に120石)しか貰えなかった説がありますが、身近な一門に徳川氏がいたことが失言につががったようにも思えてしまいます。
余談ですが、成田家分限帳には鵜殿、松平といった三河の特徴を持つ名字もみられ(他にも関東・中部地域特有の名字多い)武士の移動についても興味をそそられました。
館の北側には、新田義重夫妻の墓があります。説明板には江戸幕府により特別に保護されてきたとありますが、そんな風には見えません。
満徳寺資料館では、縁切の資料の他、縁を切りたい内容を札に書いて専用のトイレに流して祈願することが出来ます。
2023年06月11日 マグロ常陸介祐平
世良田館[三ツ木城 周辺城郭]
徳川氏の先祖世良田氏の館です。発掘された堀が復元されていますが、発掘面積が狭く中世の館跡としての決め手に欠けているものの、伝承により世良田氏館とされたようです。隣接する世良田東照宮と長楽寺は国指定史跡の新田荘遺跡に含まれており、東照宮は国指定文化財、長楽寺は三仏堂や太鼓門が大変見事で、徳川義季公累代の墓や交代寄合岩松氏の墓が見られます。
新田荘歴史資料館も隣接しており、周辺探索前の予習に最適です。
2023年06月06日
織間本陣[三ツ木城 寺社・史跡]
かなり近接して(斜向かい)飯島本陣跡と記された標柱があり、文政12年(1829年、文政大火のころ)になんらかの損壊が修復できず、織間家に本陣が移ったとされます。文政13年はお蔭参りの最盛年、限りなく近代よりではあり、意外なおもいでした。
2022年05月22日 マグロ常陸介祐平
三ツ木城
真福寺の土塁の一部が残り、土塁の上に三ツ木神社が鎮座しています。事前に知らなければ土塁とは思えない状態です。歴住の墓域には、古い女性の墓があり、城主の縁者かもしれません。
2018年07月15日 まー刑部卿
三ツ木城
ナビだと三ツ木神社としか出てないため目標物とする。駐車は三ツ木区屋台庫及び境町三ツ木水防倉庫の前辺りに停められるが真福寺境内(チェーンが張られていなければ)に置くと良い。境内に車乗入れ禁止と書いてあったが多数のタイヤ痕があったので問題ないかと。説明書きの三ツ木城なのか三木城なのか曖昧な説明書き有り。車の通行に支障しない停め方であれば問題なし。
2015年10月11日 永眠武蔵守釋 葱進
三ツ木城
真福寺境内が本丸跡と云われてますが、遺構としては本堂西側に土塁が遺されているのみです。その土塁の上には三ツ木神社が鎮座しています。
三ツ木城そのものに関する解説板の類いはなく、真福寺に関する解説板にかろうじて名前が出てくるのみです。
近隣は閑静な住宅街、駐車場はないけど西側の道路上であれば短時間路駐も問題ないかと。