岡部陣屋(おかべじんや)

岡部陣屋の基本情報

通称・別名

岡部藩陣屋、安倍摂津守陣屋、安部摂津守屋敷

所在地

埼玉県深谷市岡部1201他

旧国名

武蔵国

分類・構造

陣屋

天守構造

なし

築城主

安部信峯

築城年

宝永2年(1705)

主な改修者

主な城主

安倍氏

廃城年

慶応4年(1868)

遺構

移築長屋門(全昌寺)、移築通用門

指定文化財

県旧跡(岡部藩陣屋跡)

再建造物

石碑

周辺の城

深谷城(埼玉県深谷市)[3.1km]
人見館(埼玉県深谷市)[3.6km]
庁鼻和城(埼玉県深谷市)[4.7km]
本庄城(埼玉県本庄市)[7.0km]
別府城(埼玉県熊谷市)[8.5km]
三ツ木城(群馬県伊勢崎市)[8.7km]
下田島城(群馬県太田市)[9.1km]
本田城(埼玉県深谷市)[9.7km]
雉岡城(埼玉県本庄市)[11.2km]
花園城(埼玉県大里郡)[11.3km]

岡部陣屋の解説文



岡部陣屋(おかべじんや)は、埼玉県深谷市にあった陣屋。岡部藩の藩庁が置かれた。埼玉県指定旧跡。

概要 

元今川家家臣で後に徳川家康に仕えた安部信勝が5200石を領し、その子信盛の代に加増をうけ、慶安2年(1649年)に1万石を加増され諸侯に列した。信之の代に2万200石、信友の代に2万2,200石となった。陣屋は信友の子信峯により築かれた。陣屋は土塁と空堀を巡らせていたと言われるが、今は跡形もない。

幕末には砲術家の高島秋帆の身柄を預かっている。現在は陣屋址敷地に石碑がある。その後、明治維新まで安倍氏の居館として用いられたが、慶応4年(1868年)、藩主信発が明治新政府側に自ら願い出て三河国半原藩(愛知県新城市)へ移転したため、岡部陣屋は廃止された。

遺構 

2層の長屋門が市内岡部町の全昌寺に、地方通用門(深谷市指定文化財)が市内西島町に、それぞれ移築され現存する。

岡部陣屋の口コミ情報

2021年06月16日 拓之助中務少輔
移築長屋[岡部陣屋  遺構・復元物]

岡部陣屋から移築された長屋門は、令和3年度現在、老朽化の為壊されれており、あとかたもなくなってしまいました。 大切な史跡を守れずに残念です。

2021年04月04日 蘭丸クン
岡部陣屋



岡部陣屋の近辺には岡部六弥太忠澄公の墓や岡部氏館跡などがあります。

2021年03月25日 さすらいライダー
岡部陣屋

畑のなかに石碑がぽつり、駐車場は3台分。最近、きれいに整備しなおした感じです❗️

2021年02月26日 国府左京大夫城介
岡部氏館[岡部陣屋  周辺城郭]



平忠度を討ち取った岡部六弥太の居館

【歴史】
平家物語の一ノ谷の戦いで、平忠度を討ち取った岡部六弥太忠澄を輩出した武蔵七党・猪俣党の庶流である岡部氏の居館。
おそらくは平安時代末期に築城されたと思われるが、正確には不明である。

【遺構】
岡部陣屋から北に850mに位置する菅原神社・厳島神社付近から岡部忠澄が創建した普済寺あたりが岡部氏館跡になる。発掘調査によると、240m四方の大きさの方形居館だったそうです。
遺構のほとんどは農地になっているが、菅原神社の北側と東側には水堀が残っている。また、南にある稲荷神社は、古墳を利用しており往時は物見台として使われていた。
菅原神社の西側には、岡部六弥太忠澄公の墓所があります。(場所は別にスポットを作成します)

【感想】
菅原神社に所にある水堀は直角に曲がっていることから、確実に人の手が入っていることが分かります。また、水堀を南側に延長していくと、物見台(稲荷神社)に届くので、水堀は途中から埋められてしまったと推測される。
厳島神社には弁天池と呼ばれる湧水があり、おそらく岡部氏はここを抑えることで、この地を支配できたのかと思われます。
普済寺は、岡部氏が創建したお寺なので、岡部氏の家紋である「丸に十文字」(島津氏のとは違う形)が本堂にでっかく描かれています。
岡部陣屋を回った後、電車の時間があったので、特に事前の情報収集をせずに回ったため、一部遺構(土塁の跡?)を見落としてしまったorz

【アクセス】
岡部駅から徒歩で25分。

【写真】
1:菅原神社
2:弁天池
3:菅原神社の東側の水堀
4:菅原神社の北側の水堀
5:物見台(稲荷神社)
6:普済寺
7:岡部駅にある岡部忠澄・榛澤成清の紹介

2021年02月21日 国府左京大夫城介
岡部陣屋

全昌寺に移築された岡部陣屋の長屋門は、現在存在しません。偶々通りかかった地元の方に尋ねた所、「2年程前(令和元年頃)に、老朽化したため、取り壊された」とのことでした。
おそらく維持管理が難しかったのだと思われます。こうやって、貴重な遺構が失くなってしまうことを、計らずも実感しました。
まだ、Googleのストリートビューで、在りし日の姿を確認できますが、更新されたら見えなくなってしまいます。
そうなると、投稿された写真は、貴重な資料となります。なので、このアプリがいつまでも続くことを切に願っております🙇

2021年02月06日 三輪左近衛少将直虎
東方城[岡部陣屋  周辺城郭]

東方城は康正2年(1456)に深谷城の支城として築かれたとされています。長らく守将は不明とされてきましたが古文書の発見により深谷上杉四天王の一人矢井伊勢守重家の弟若狭守重任が守っていたことがわかりました。北条氏の滅亡で関東へ入国した徳川家康の義弟にあたる松平康長が1万石で城主となりましたが、関ヶ原の戦いの翌年に康長は上州白井城主となり東方城は廃城となりました。

東方城は駅から遠い辺境にある無名の城で初めて足を運んだのは昭和の終わりで、5万分の1の道路地図だけを頼りに捜し歩いたものでした。道と地形からこのあたりだろうと目ぼしをつけて訪れたところが大正解で、案内板が設置されていたのがとても嬉しく感じられたものです。Web検索もGPSもない時代ならではの楽しさがありましたね。

それから何度か訪れていますが、土塁に登り歩いていると空堀が見えたり今まで見えなかったものが次々と見えてきて面白かったです。城域はさらに広く他にも遺構が残るようですね。

2015年09月24日 永眠武蔵守釋 葱進
岡部陣屋

現地ではあくまでも「高島秋帆幽囚の地」であり、石碑も解説板も岡部陣屋そのものについては全くといっていいほど触れられていません。
高島秋帆が岡部藩預かりにならなければ、碑さえなくねぎ畑が広がるのみだったかもしれません。



2015年06月03日 永眠武蔵守釋 葱進
岡部陣屋

地方通用門は深谷駅から徒歩圏内にあります。
現地に門に関する案内板等はありません。
目の前にデニーズの駐車場がありますが、あくまでも利用者のための駐車場ですので気をつけて。

2011年11月23日 ぎっちゃん
岡部陣屋

陣屋は消滅で遺構はありませんが全昌寺に移築された巨大な長屋門が往時を偲ばせてくれますのでぜひ。またデニーズの駐車場前の民家に通用門が移築されていますが、あくまでも民家なのでマナーを守って見学を。



岡部陣屋の周辺スポット情報

 移築長屋(遺構・復元物)

 岡部陣屋石碑(碑・説明板)

 東方城(周辺城郭)

 岡部氏館(周辺城郭)

 岡部六弥太忠澄公御廟(寺社・史跡)

 旧渋沢邸中の家(寺社・史跡)

 尾高惇忠生家(寺社・史跡)

 中宿古代倉庫跡(寺社・史跡)

 中の家駐車場(駐車場)

 渋沢栄一記念館(関連施設)

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