鳥山城

鳥山城([新田荘城館  周辺城郭])

新田荘城館 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「鳥山城」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

鳥山城の口コミ情報

2025年07月29日 マグロ常陸介祐平


情報量の少ないお城です。由良成繁の弟の鳥山常陸介繁雄が築城し、子の高繁の2代が居城したと思われます。鳥山の地は、里見義成の子の鳥山三郎伊賀守時成を初代として、安房や三河にも子孫は広がったようですが、お城の主は由良氏が名跡を継いだものと思われます。鳥山城からや南東約100mにある鳥山館は、里見系鳥山氏の館跡と思われます。

お城は、宅地化が進み遺構は残っていないとされています(写真1枚目)。Googleマップの「鳥山城跡」で位置登録されている場所は、「群馬県古城塁址乗った研究」を根拠としているようで、一辺50mの単郭方形の館とされているようですが、100m程北に建つ鳥山繁雄が開基した妙英寺(写真3枚目)には、本堂の東側に、高さ2mを超える土塁が存在し、虎口も確認出来ます(写真4~7枚目)。空堀が見られないので、寺院としての土塁の可能性も否定出来ませんが、位置や規模からは、鳥山城の遺構に思えなくもありません(旧来の鳥山氏の城郭の可能性もある)。

妙英寺の梵鐘(写真8枚目)は、太田市の重要文化財に指定されており、説明板(写真2枚目)では、妙英寺の開基が太田金山城主由良成繁の弟の繁雄であることや、梵鐘が太田金山城主由良国繁の家臣の天笠次郎右衛門繁房の寄進で、天笠氏は天正18年に帰農したことが書かれています。墓地には天笠氏歴代のお墓がありますが、墓誌には「鳥山氏は天正19年(1591年)氏を天笠に改む 鳥山城主鳥山丹後守高繁之後裔」と刻まれており、説明板の内容と一致していません。天笠(雨笠)氏は、天正11年の太田金山城の籠城戦で討死した者や一族と思われる堤村の天笠若狭守子孫の先祖書に由良氏に先祖代々奉公し、太田今泉と桐生久方村に32貫を拝領していたとあり、この地に帰農した天笠氏が古くからの家臣なのか、鳥山氏からの改姓なのかはっきりしません。

鳥山館は、はっきりした遺構が残るようですが、うっかり見逃してしまいました。次回は忘れずに訪問したいと思います。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore