小国城(おぐにじょう)

小国城の基本情報

通称・別名

所在地

山形県最上郡最上町本城

旧国名

羽前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

小国光基

築城年

天正12年(1584)

主な改修者

主な城主

蔵増(小国)氏

廃城年

元和8年(1622)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

新庄城(山形県新庄市)[20.3km]
金山城(山形県最上郡)[21.4km]
延沢城(山形県尾花沢市)[21.6km]
宮崎城(宮城県加美郡)[25.1km]
鮭延城(山形県最上郡)[26.1km]
清水城(山形県最上郡)[27.0km]
次年子館(山形県北村山郡)[27.3km]
花山館(宮城県栗原市)[29.2km]
富並城(山形県村山市)[29.2km]
岩鼻館(山形県最上郡)[30.0km]

小国城の解説文



小国城(おぐにじょう)は、山形県最上郡最上町本城に所在する日本の城(山城)跡。岩部楯(館)(いわべのたて)または本城館(ほんじょうたて)と呼ばれた最上細川氏の居館跡地に最上氏の家臣・小国氏(蔵増氏)が築城したとされる[1]

概要 

構造

最上町の中心街・向町の東方、絹出川左岸に面する標高290メートルの「お城山」に所在する。山麓には、十日町や本城等の集落があり、集落内には「侍屋敷」「丸山屋敷」「庄屋屋敷」「表小路」「中小路」「旦那小路」など、小国城に由来する小字が残っている。

城跡は、お城山の尾根筋にあり、城域のやや北寄りの最高所を本曲輪として、尾根を寸断した堀切を挟んで、南側稜線に段状の小曲輪を連続させている。本曲輪の北西にも、堀切を挟んで東側に小曲輪を配置している。尾根筋両側面の斜面には長い腰曲輪が帯状に廻っている。堀切による区画から、大きく3つの曲輪に分かれているが、帯状の腰曲輪が長く廻り、曲輪同士が連続的な構造となっているため、複郭式の山城というより単郭式山城の大規模なものと見る意見がある。

歴史

築城年代は分かっていないが、戦国時代に、現在の最上町域にあたる小国郷を支配した細川直元の居館「岩部楯」(岩部館・本城館とも)が小国城の起源とされ、天正8年(1580年)の最上細川氏滅亡以降の城郭を小国城と呼ぶ[2]

細川直元は、天童城主の天童頼澄と同盟して最上義光に対抗していたが、義光は天童氏を滅ぼし天正8年(1580年)に山刀伐峠を越えて小国郷にも攻め込んできた。直元は赤倉温泉付近の万騎ヶ原で迎撃するも敗北して討死にし、小国郷は最上氏の領地となった(万騎ヶ原の戦い)。

この時、最上氏の家臣・蔵増安房守(くらぞうあわのかみ)が格別の功を立てたので小国郷を与えられ、嫡子が改姓して小国光基(おぐに あきもと、日向守光忠とも)となり、岩部楯を改修して小国城を築いたという。

その後も小国氏の居城として使われたが、主家・最上氏がお家騒動(最上騒動)で元和8年(1622年)に改易されると、小国氏も佐賀藩鍋島家預かりとなって小国郷を去り、廃城となった。小国郷は仙台の伊達藩に接収され、その後戸沢藩(新庄藩)領となった。

アクセス 

陸羽東線最上駅から徒歩20分程度。最上町向町地区の東端に当たる本城地区の裏山が小国城跡で「お城山」と呼ばれている。城跡にあがる古道は「お城山城跡線」として散策コースとなっている。

参考文献 

  • 山形県教育委員会 1997『山形県中世城館遺跡調査報告書(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/5916)』第3集(庄内・最上地区)pp.176-177

小国城の口コミ情報

2022年09月10日 大場掃部助まーP
志茂の手楯[小国城  周辺城郭]



珠徳寺さんの駐車場脇からの入り口もあります。主郭裏の巨大な堀切見ものです。くずれやすい(粘)土質なので登れなくなる恐れがあります。降りる時はご注意を。

2021年11月23日 水天一碧東方之衆
太郎田楯[小国城  周辺城郭]



太郎田観音の背後の山にあります。城めぐのマップだと太郎田観音は道路沿いにあるかのようですが、道路より奥にあります。Googleマップは太郎田観音を検索、設定して、よく場所を確認してください。駐車場は道路沿いの公民館に駐めました。無理やり頑張れば2台ぐらいはうまく駐められるかもしれません。太郎田観音駐車場という大きな看板があったので気づけると思います。
太郎田観音の隣にあるお屋敷がご住職のご自宅になり、太郎田楯に上がる前に一言挨拶をさせていただき、藪をかきわけ直登しました。山に入る前には、一言、お声がけいただきたいのときちんとマナーを守って見学していただきたいとのことでした。

主郭を取り巻く横堀からまずは見学しました。「わかるわかるよ…巻けるもんなら横堀は高低差つけて二重、三重にぐるんぐるんと長く巻きたいよね」と、わかりみに震えます。きちんとした横堀にしっかり包まれるこの安心感はすごいです。まるで写真にはなってないですが深さも良く、長さもあり、写真よりも全然視界は良好でじっくり堪能できました。

肝心の畝な竪堀。これをしっかり拝みたくて、枯れた藪漕ぎしまくりましたが、ぜんっぜんわからなかったです😂
この時期なのに、枯れた藪が分厚く斜面を覆って、凹んでる雰囲気すらわからずでした💦

お城本に志茂の手楯とセットで縄張り図が掲載されていまして、志茂の手楯とは全く違う縄張りが楽しめるので、セットでリアしていただくのをオススメします。
ただし、夏は全く歩けない、全体的になんだかわからないと思います。写真を見ていただくと察すると思いますが、葉っぱが落ちて城内はこの状態です。葉が生い茂る夏はいくら藪漕ぎが好きでも、かなりヤバいと思われます。藪漕ぎ頑張れる自分でも夏は敬遠したいです(笑)

①②太郎田観音の背後を直登します。主郭が上に見えます。枯れたトゲまみれの藪ですから気をつけて…
③④⑤横堀三種。写真にならないだけで本当に良かったです。縄張り図どおりに長くてイケてました。5枚目は3段目から上の2段の横堀を見てます。しばらく固まりました。繰り返しますが、現地では感動の横堀です✨
⑥二重堀で捉えてみました。いい堀だなあ…
⑦凸凹の畝な竪堀が見たくて彷徨いました。下にまた横堀のはずがもう写真は…
⑧凸凹は全くわからない。どこにあるのとキレ…悲しみの一枚🤣

2018年09月27日 カーネル
小国城

陸羽東線最上駅より

駅をでて右(東)へ歩き、川を超えるとすぐに道が右へ曲がりますが、左斜めに進むと正面の山に階段があるので、これを登る

山道を緩やかに登り、山頂の看板に従い登ると段丘の曲輪があり、その右側を歩くと二ノ丸と三の丸の間の堀がよい感じです

ここから、先に進むと本丸です。さらに奥に行くと深い堀があり、その堀から下に見える道は、御前清水へ通じる道なので、強引に降りてしまいまして

山裾を下ると御前清水を経由して、さらに下ると、行きとは違う場所で、見性寺のあたり下山しまた。ここから駅に戻って、トータル70分かかりました

2017年05月02日 逢瀬
小国城

近所の爺さんの話だと何十年前に山火事があって、それまでは畑になってたとか。そのおかげか、段々畑?曲輪?形がはっきり残っていて登るとワクワクしてくるいい山城、楽しい。ただ杉杉してる。あと公民館の前の爺さんの畑に井戸が発見された模様。遺構かどうかはわからない、頼むと見せて見せてもらえる。

2014年06月06日 中務少輔きたろう三世
小国城

大手道の表示はあるが、いまいち分かりにくいので、大抵の場合は、十日町公民館から搦め手を登ることになると思う。途中から道が2つに分かれるが、山の神から登る道が本来の道だと思われる。主郭背後は浅い堀で区切られ、更に後ろの郭は大規模な切岸で遮断されているが、この造りは、同町内のにある支城の富沢楯にも共通している。

最上町内には、細川氏、最上氏関連の志茂ノ手館、太郎田楯、月楯など、良好な遺構が残る城址が多く、こちらもお勧め。

小国城の周辺スポット情報

 志茂の手楯(周辺城郭)

 太郎田楯(周辺城郭)

 富沢楯(周辺城郭)

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