金山城(かねやまじょう)
金山城の基本情報
通称・別名
- 金山館、楯山城、高楯
所在地
- 山形県最上郡金山町金山
旧国名
- 羽前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 丹与惣左衛門
築城年
- 天正9年(1581)
主な改修者
- -
主な城主
- 丹氏、鮭延氏
廃城年
- 元和8年(1622)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、移築長屋門(万宝院)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
鮭延城(山形県最上郡)[9.4km]
新庄城(山形県新庄市)[13.9km]
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岩井出館(山形県酒田市)[27.6km]
稲庭城(秋田県湯沢市)[31.3km]
金山城の解説文
[引用元:Wikipedia「金山城」の項目]
金山城(かねやまじょう)は、山形県最上郡金山町金山にあった日本の城(山城)。別名の楯山城(たてやまじょう)で呼ばれることが多い。
歴史・沿革
金山川左岸に面し、東西に長く延びる標高260メートルの丘陵の西端部に立地しする。町立金山小学校の裏手にあたる[1]。
天正9年(1581年)に、最上義光が小野寺義道を攻めるために、現在の山形県最上郡と秋田県雄勝郡を分ける有屋峠のふもとにある金山の地に、家臣の丹与惣左衛門に命じて城を築かせた。現在の金山町中心部の街割は、丹与惣左衛門の時代に作られたものである。しばしば仙北の小野寺氏と付近の有屋峠付近で小競り合いがあり、与惣左衛門は出陣を繰り返している。
丹氏の後は、鮭延秀綱の家臣・薗部彦右衛門が1000石で入城した。続いて慶長末年までには同じ鮭延氏の家臣・川田三右衛門が城代となっている。元和8年(1622年)、最上家が最上騒動により幕府に改易されると、伊達氏によって廃城になった。
考古資料
山頂付近に本丸と二ノ丸らしき遺構が残されている。麓の万宝院に現存する長屋門は金山城の大手門、宝円寺に現存する山門(現在は、前方の金山小学校敷地内に移築)は裏門を移築したものと伝えられている。
観光
アクセス
新庄方面から、国道13号を右折すぐ。金山町役場および金山小学校の裏山が金山城である。通称内町地区が城下町に相当する。
参考文献
- 山形県教育委員会 1997「金山城(楯山城)」『山形県中世城館遺跡調査報告書3(庄内・最上地区)(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/5916)』山形県 p.168
- 金山町総務課広報情報係『広報かねやま・平成28年(2016年)3月号(No.639)(https://www.town.kaneyama.yamagata.jp/machinososhiki/somuka/kohojohogakari/2/2/heisei28/1097.html)』金山町 p.16
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金山城の口コミ情報
2014年06月06日 中務少輔きたろう三世
金山城
金山小学校付近に鳥居があり、そこを登ると城址がある。登城路には神社が複数あるので、結構整備がされている。
移築門は2つが残っているとされるが、長屋門は、場所が移されたのか見当たらなかった。
周辺は水路が巡り、夕方には木造家屋がライトアップされ、幻想的な雰囲気になる。