岩鼻館(いわはなたて)
岩鼻館の基本情報
通称・別名
- 岩花館
所在地
- 山形県最上郡戸沢村蔵岡岩花
旧国名
- 羽前国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 鮭延貞綱
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 鮭延氏、最上氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
清水城(山形県最上郡)[5.4km]
新庄城(山形県新庄市)[10.3km]
鮭延城(山形県最上郡)[13.4km]
立谷沢城(山形県東田川郡)[15.8km]
次年子館(山形県北村山郡)[17.8km]
狩川城(山形県東田川郡)[19.0km]
金山城(山形県最上郡)[21.8km]
松山城(山形県酒田市)[24.0km]
高坂館(山形県最上郡)[24.2km]
藤島城(山形県鶴岡市)[24.8km]
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岩鼻館の解説文
岩鼻館の口コミ情報
2022年01月26日 AYU征夷大将軍TAKATO
岩鼻館
遺構は特にありませんでした。雪に埋もれております。
2014年08月16日 中務少輔きたろう三世
岩鼻館
地図の辺りには芽だった遺構は無いが、踏み切りの北の二又路の左側の道を行くと、民地に土塁が残っている。
岩鼻館の周辺スポット情報
源治楯(周辺城郭)
佐々木典膳貞綱が天文年間に築城した。この佐々木氏は鮭川一帯を領有し、庄内の武藤氏や大蔵の清水氏らと相対したが、武藤氏の攻勢に敗れ、この地を捨てて、真室川に退き鮭延城を築いた。その後、ここ一帯は最上氏の領地となる。
昭和59年に町道拡幅工事が行われ、それまで存在した土塁や堀(部分的に水濠であった)は、ほとんど消失した。辛うじて土塁の北東隅の一角が残っている。その北側の堀跡は埋められ、往時を証明するものはほとんどない。ただし、当時に造られていたのかどうかは分からないが、より西側の堤(沼)は残っている。