新庄城(しんじょうじょう)

新庄城の基本情報

通称・別名

沼田城、鵜沼城

所在地

山形県新庄市堀端町6

旧国名

羽前国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

不明

築城主

戸澤政盛

築城年

寛永2年(1625)

主な改修者

戸澤政盛

主な城主

戸澤氏

廃城年

明治元年(1868)

遺構

曲輪、土塁、横堀(水堀)、石垣、櫓台

指定文化財

市史跡

再建造物

碑、説明板

周辺の城

鮭延城(山形県最上郡)[9.4km]
清水城(山形県最上郡)[9.6km]
岩鼻館(山形県最上郡)[10.3km]
金山城(山形県最上郡)[13.9km]
嘉門館(山形県最上郡)[16.9km]

新庄城の解説文

新庄城(しんじょうじょう)は、山形県新庄市堀端町にあった中世の平城である。別名沼田城(ぬまたじょう)、鵜沼城(うぬまじょう)と呼ばれる。新庄市指定史跡。

概要
新庄城は、新庄藩6万石(のちに6万8200石)の本拠として寛永2年(1625年)、戸沢政盛により現在の山形県新庄市堀端町に築城された平城。本丸の南側に出丸のように小さな二の丸が並列状に配置され、その外側を三の丸が囲む形である。本丸及び二の丸、三の丸の堀の水は城の北を流れる差指野川(さすのかわ)から引かれた。三の丸堀(二の堀)の反対側に当たる現在の堀端町は、家老などが住む侍屋敷があった。
最上氏改易後に入封した戸沢政盛は当初真室城(鮭延城)に入城したが、手狭であることと、山城のための不便さから幕府に願い出て、当地に築城した。なお、縄張は同一時期に山形城に入封した鳥居忠政によるものである。

1636年(寛永13年)に、火災によって天守が焼失したが再建されなかった。

慶応4年(1868年)の戊辰戦争では戦闘の舞台となった。当初、新庄藩は奥羽越列藩同盟に参加していたが、久保田藩(秋田藩)が新政府側へ変節したのに同調し、奥羽越列同盟から離脱した。これに激怒した庄内藩は新庄藩へと攻め入り、庄内藩兵と新庄藩兵の間で攻城戦が行われたが新庄城は陥落して、その大部分が焼失した。当時の藩主、戸沢正実は久保田藩へ落ち延びた。新庄城は同年のうちに廃城となった。

現在は、新庄城の建物のほとんどが失われ、本丸址に戸澤神社、護国神社、稲荷神社、天満神社(城を創建した戸沢氏の氏神、藩政時代から現存している唯一の建造物)がある。なお、新庄ふるさと歴史センター近くでは三の丸堀跡も確認できる。本丸跡、二の丸跡を含めた城跡は最上公園として市民に開放されている。最上公園は、春の「かど(ニシン)焼き大会」の会場となり、また、夏は天満神社の縁の祭りの新庄祭が開催される。

城郭
本丸には御殿(天守は落雷で焼失)、三の丸には藩の政庁が置かれた。

; 本丸
: 設備:御殿、土塁、濠、天守(落雷で焼失)、二重櫓3棟
; 二の丸
: 設備:土塁、濠
; 三の丸
...

新庄城の口コミ情報

のぼちゃん陸奥守様[2010年06月08日]
国道47から県道36で行くと『最上公園』があり、外堀にかかる橋を通り、中の駐車場に入れます。(無料)敷地内には、戸沢神社、護国神社があり、入口に案内板がありました。裏手には、空堀もみえました。残念ながら周辺の施設にはたちよらなかったので、情報がある方は、追加して下さい。

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore