嘉門館(かもんのたて)
嘉門館の基本情報
通称・別名
- 角川館
所在地
- 山形県最上郡戸沢村角川字元屋敷
旧国名
- 羽前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 角川与次郎
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 角川氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
清水城(山形県最上郡)[7.7km]
岩鼻館(山形県最上郡)[8.1km]
立谷沢城(山形県東田川郡)[12.4km]
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沼平館(山形県西村山郡)[23.4km]
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嘉門館の解説文
嘉門館の口コミ情報
2021年11月14日 沼田乃豆腐屋【黄昏】
嘉門館
先人のおっしゃる通り、嘉門館は私有地であるため、所有者に許可をいただいてから登城しました。
2020年08月22日 なんたろう
嘉門館
【遺構の状態】★★★★★
【登山レベル】★★★★★
【下草装備】 要
【動物対策】 要
【見学の目安】1時間30分
【アクセス】 県道57号西、「道の駅とざわ」から車で25分
【駐車場】 無
民家のすぐ横にある鳥居が登城口です。
お住まいの表札を見るに、先人の仰る通り早坂嘉門のご子孫のようでした。
車を消防器具庫の横に停めさせて頂き、ご主人に一言断ってから登城しました。
主郭部までは道のない斜面を直登します(写真)。藪&体力との戦いですが、幸い距離は長くありません。登りきれば完璧な遺構を見ることができます😊
基本のつくりは細い尾根に2〜3重の堀を切って曲輪を置く…の繰り返しで、主郭だけが一段高く作られています。
既出の縄張はこの主郭が最後ですが、その裏にまた一つ二つと堀切があり、ここを越えるととんでもなく広い空間が出てきました。
武者溜か居住空間か、はたまた村の避難所か…用途は分かりませんが、削平地であることは間違いなさそうです。
ご主人曰く「熊は見たことないが猿はいっぱいいる」とのこと。動物と足元には要注意ですが、めったにないレベルで鋭い堀切がたくさん見られます!
2014年08月02日 中務少輔きたろう三世
嘉門館
地本の方の話。
この城は、庄内軍(武藤氏?)に攻められたが、山頂付近の攻防で撃退したとのこと。
城の周囲の川の上流には大きな屋敷が昭和の初期~中期?辺りまであったという。その家には厚さ10㎝以上もある古文書があり、城を含め地域の様々な事が書かれていたが、東京の大学の人に渡してしまったという。。
貴重なお話をありがとうございました。
2014年08月02日 中務少輔きたろう三世
嘉門館
大手口は、城跡を管理されている城主の子孫の方の敷地内にあるので、そちらに断ってから登城した(地元の方に聞けば、場所はすぐにわかる)。比高はそれほどでもないが、結構斜面は急。遺構は完存している上に、草刈り等でしっかりと管理されており、往時そのままの山城を堪能できる。
この村の草分けである、早坂嘉門の先祖がいた館で、代々元屋敷に居を構えて今に至っているという。
くの字状に延びている尾根を巧みに利用している。主郭はくの字状の曲がりの部分に造っている。ここから北方への尾根に堀切、土塁で画し、曲輪が続く。さらに北端には、三条の土塁、堀切で遮断している。主郭の西側東側それぞれの急斜面の上に竪堀を造っている。南東部は二条の土塁と全部で五条の堀切で遮断している。傾斜のある尾根上に、堀切と土塁を多用している館である。