沼平館(ぬまのたいらたて)
沼平館の基本情報
通称・別名
- 沼の平館、沼平楯、沼之平城
所在地
- 山形県西村山郡西川町綱取
旧国名
- 羽前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 東海林氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 東海林氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑(沼之平城跡)
周辺の城
-
小漆川城(山形県西村山郡)[12.1km]
左沢楯山城(山形県西村山郡)[12.2km]
寒河江城(山形県寒河江市)[17.6km]
谷地城(山形県西村山郡)[18.4km]
次年子館(山形県北村山郡)[21.9km]
富並城(山形県村山市)[22.0km]
寺津城(山形県天童市)[22.4km]
山野辺城(山形県東村山郡)[22.7km]
長瀞城(山形県東根市)[23.2km]
畑谷城(山形県東村山郡)[23.5km]
沼平館の解説文
沼平館の口コミ情報
2023年04月27日 雲龍斎隠遁守全長
要害森楯[沼平館 周辺城郭]
道路脇から3分でコンパクトながらの畝堀一択の遺構が楽しめる
2022年05月23日 雲龍斎隠遁守全長
要害森楯[沼平館 周辺城郭]
5月の半ば過ぎにはグリーンカーペット、絶好のタイミングはGW頃かと
2022年05月12日 ️
要害森楯[沼平館 周辺城郭]
4回目のリアで過去イチの要害モリモリモリモリ楯状態凸凸凸凸に出逢えました😍過去3回なかなかキレイに見えなかった東側のウネタテもモリモリでした😚
ホワイト餃子🥟にも焼きチョコベイク🍫にも王蟲🐛にも見える一点豪華主義✨のウネタテは、やはり春シーズンが見頃です🥰
2021年09月22日 あきごん釆女佑
沼平館
実際の館跡はお城マークから100m?ほど北側になります。マークあたりには遺構はありません。
2020年11月27日 ️
要害森楯[沼平館 周辺城郭]
ホワイト餃子のような畝状竪堀群が出迎えてくれる夢のような楯跡です(^-^)
しかも遺構は、ほぼほぼ畝状竪堀1択という潔さがたまりません♪
~以下、要害森楯解説板より~
歴史遺跡「要害森館跡」
所在地 西川町大字岩根沢字要害
要害森館は、背後に水沢川をひかえた標高517mの単丘上に造られている。
楯上面よりは、北は、月山方面がよく見え、南は岩根沢集落方面も見わたせ、守りに易く、攻めるに難い要害の地である。
館の形態は、南側全面に副郭的な広い場所があり、その奥に主郭が造られている。
主郭部の規模は、南北23m、東西34m程である。
主郭には、土塁跡が見られ、虎口(楯への入り口)の部分には桝形(入り口の折れ曲がり)の跡も確認できる。
主郭の防御施設として北側と西側には、数段の曲輪と南側と東測には19条よりなる畝縦堀が構築されている。
・館の成立年代
当楯の築城者は沼の平楯の楯主東海林隼人佐の弟 東海林昌盛により天正年代(1570年頃)の築城であるとの伝承が残っている。
それらの伝承から、当楯は沼の平楯の副城的な役割を持っていたと考えられる。
しかし、当楯の北側は月山参詣の山道が見せる景勝の地であり、戦国期以前の築城も考えられる。
・当楯の特色
楯の規模は、大きなものとは言えないが、防御施設として畝縦堀が築造されていることである。
その構造は、普通に見られる楯に沿った堀ではなく、楯に向かって掘られたである。
長さが15mぐらいで、堀の底までの深さは、深いところで2m位になっている。
それが19条も確認されている。
この畝縦堀は、珍しいものであり、西川町内の楯では、当楯だけである。
(助成事業 山形県みどり推進機構)
岩根沢区
西川町教育委員会
主郭は、標高480メートルの馬の背状の峯に築かれ、集落との比高は約84メートルである。大手口は、集落からの5箇所と、西側山裾よりの2箇所、そして、綱取川からの1箇所で都合8箇所から延びている。その周辺には、折りを伴った腰曲輪をよく構築している。曲輪はさらに裾野部を2~3段で一周し、山中までにも見受けられる。最頂部の曲輪は、主郭を守るもので、1段の長さは60メートル前後である。また、下方には30a程の緩斜面も広がり、かつての山小屋跡と仮定される区域である。
主郭部南側には、二重の空堀を設け、長さ33~35メートル、深さ1.5~3メートルの2本で尾根を分断している。主郭の規模は南北60メートル、当愛27メートルの楕円形をなし、約10a程の面積であり、周囲を高さ1.6メートル、幅2メートルの土塁で囲んでいる。
また、後方は、一段高い尾根筋まで延びるが、それより先は2条の堀切によって断たれる。軍記類では、東海林隼人佐昌種の居城とし、その年代を天正期以降とするが、庄内越えの間道として考えると、それ以前から築かれていたものと思われる。