要害森楯
要害森楯([沼平館 周辺城郭])
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要害森楯の口コミ情報
2023年04月27日 雲龍斎隠遁守全長
道路脇から3分でコンパクトながらの畝堀一択の遺構が楽しめる
2022年05月23日 雲龍斎隠遁守全長
5月の半ば過ぎにはグリーンカーペット、絶好のタイミングはGW頃かと
2022年05月12日 ️_
4回目のリアで過去イチの要害モリモリモリモリ楯状態凸凸凸凸に出逢えました😍過去3回なかなかキレイに見えなかった東側のウネタテもモリモリでした😚
ホワイト餃子🥟にも焼きチョコベイク🍫にも王蟲🐛にも見える一点豪華主義✨のウネタテは、やはり春シーズンが見頃です🥰
2020年11月27日 ️_
ホワイト餃子のような畝状竪堀群が出迎えてくれる夢のような楯跡です(^-^)
しかも遺構は、ほぼほぼ畝状竪堀1択という潔さがたまりません♪
~以下、要害森楯解説板より~
歴史遺跡「要害森館跡」
所在地 西川町大字岩根沢字要害
要害森館は、背後に水沢川をひかえた標高517mの単丘上に造られている。
楯上面よりは、北は、月山方面がよく見え、南は岩根沢集落方面も見わたせ、守りに易く、攻めるに難い要害の地である。
館の形態は、南側全面に副郭的な広い場所があり、その奥に主郭が造られている。
主郭部の規模は、南北23m、東西34m程である。
主郭には、土塁跡が見られ、虎口(楯への入り口)の部分には桝形(入り口の折れ曲がり)の跡も確認できる。
主郭の防御施設として北側と西側には、数段の曲輪と南側と東測には19条よりなる畝縦堀が構築されている。
・館の成立年代
当楯の築城者は沼の平楯の楯主東海林隼人佐の弟 東海林昌盛により天正年代(1570年頃)の築城であるとの伝承が残っている。
それらの伝承から、当楯は沼の平楯の副城的な役割を持っていたと考えられる。
しかし、当楯の北側は月山参詣の山道が見せる景勝の地であり、戦国期以前の築城も考えられる。
・当楯の特色
楯の規模は、大きなものとは言えないが、防御施設として畝縦堀が築造されていることである。
その構造は、普通に見られる楯に沿った堀ではなく、楯に向かって掘られたである。
長さが15mぐらいで、堀の底までの深さは、深いところで2m位になっている。
それが19条も確認されている。
この畝縦堀は、珍しいものであり、西川町内の楯では、当楯だけである。
(助成事業 山形県みどり推進機構)
岩根沢区
西川町教育委員会