岩井出館(いわいでたて)

岩井出館の基本情報

通称・別名

磐井出楯、磐井出館、岩代城、小槌ヶ城

所在地

山形県酒田市北俣岩代25

旧国名

羽後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

阿部良輝

築城年

天文2年(1533)

主な改修者

主な城主

阿部氏

廃城年

遺構

櫓台跡、虎口、土塁

指定文化財

再建造物

周辺の城

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岩井出館の解説文

康平元年(1058)、前九年の役が終わった時代、奥州磐井五郎安倍家任の一族・阿部盛任親子が出羽に入り、鷹尾山別当宝蔵寺に入り、子孫・阿部良輝の代に鹿島小槌ヶ山の山麓に岩井出館を築いた。

そして天正19年(1591)に、上杉景勝の家臣・志田修理に攻められ、時の館主・阿部頼尚は秋田仙北に逃れたという。

標高75メートルの小段丘地南端に櫓台跡、櫓台下に虎口、北側及び西側に土塁が確認される。主郭は現在畑地となっている。

情報提供:山形県教育委員会


岩井出館の口コミ情報

2020年08月02日 【配龍】沼田乃豆腐屋
岩井出館

館跡は民家の敷地となっている。おばあさんに断って、見学させていただいた。お話をうかがうと、近所には『首切り場』だったと伝わる場所があるとのこと。現在、主郭跡は畑になっているが、以前は首なしの遺骨や墓石が出てきたことがあった。近くの墓地に運んで弔ったとのことでした。

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