亀ヶ崎城(かめがさきじょう)
亀ヶ崎城の基本情報
通称・別名
- 酒田城、東禅寺城
所在地
- 山形県酒田市亀ヶ崎1-3-60(酒田東高校)
旧国名
- 羽後国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 大宝寺氏
築城年
- 文明10年(1478)
主な改修者
- -
主な城主
- 東禅寺氏(大宝寺氏家臣)、本庄繁長・甘粕景継・志田義秀(上杉氏家臣)、志村光安(最上氏家臣)、酒井氏
廃城年
- -
遺構
- 土塁、移築搦手門(円通寺)
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
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亀ヶ崎城の解説文
亀ヶ崎城の口コミ情報
立花左近将監統虎さん[2017年10月25日]
亀ヶ崎城跡地は酒田東高等学校の敷地内で、学校の北西側にのみ土塁が残っています。
北側土塁の外側には弓道部の練習場が見えたので、現代の侍達が弓の鍛練をしていると思われます。
城跡西側に亀ヶ崎八幡神社があり、その手前の横道町自治会館前のスペースに駐車させてもらいました。
遺構として残っているのは、酒田東高等学校敷地内にある二の丸西辺土塁及び北辺土塁のみとなっている。西辺土塁は高さ約2.5メートル、南北約170メートルにわたり、中間部には古絵図にも見える櫓台跡も残っている。北辺土塁は高さ約1.2メートル、長さ約160メートルにわたって残っているが、絵図面等と照合しても一部形状が異なることから、隣接する工場敷地との境界として築き直された形跡がある。
また、唯一の建物遺構として、搦手門が酒田市吉田にある円通寺山門として残っている。さらに、昭和59年、区画整理事業に伴う排水路工事中に、外堀の堀に架かり、鶴岡街道の起点ともなっていた「丸の御橋」の橋脚が発見され、その部材は亀ヶ崎十一面観音堂に保存されている。
情報提供:山形県教育委員会