砂越城(さごしじょう)

砂越城の基本情報

通称・別名

砂越古館

所在地

山形県酒田市砂越楯之内

旧国名

羽後国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

砂越氏

築城年

15世紀

主な改修者

主な城主

砂越氏

廃城年

元和3年(1617)

遺構

曲輪、土塁、空堀、虎口

指定文化財

再建造物

説明板、模擬櫓、模擬橋

周辺の城

松山城(山形県酒田市)[5.1km]
亀ヶ崎城(山形県酒田市)[6.6km]
城輪柵(山形県酒田市)[8.3km]
新田目城(山形県酒田市)[9.0km]
観音寺城(山形県酒田市)[9.8km]

砂越城の解説文

砂越城の歴史について『砂越史話』小林伊一著によれば、久寿元年(1154)播磨国の豪族・赤松氏の三男・石黒殿、砂越に居城を構える。

文治6年(1190)鎌倉幕府、源頼朝の命を受けた砂越氏が出羽郡司として補任されて、砂越城主となった(武藤輝平代官)。

永享3年(1431)砂越氏の出した安堵状、大河渡文書が残っている。

嘉吉3年(1443)一揆によって砂越城落城の事あり、この後に斯波氏の一族が砂越城主となる。

文明10年(1478)砂越城主・砂越氏雄京都に上り、将軍・足利義尚に謁して飽海郡を領し、信濃守の任官名を名乗る。

永正10年(1513)砂越氏雄、大宝寺城と戦い破れ、大宝寺より武藤氏雑が砂越城主となる。

天正16年(1588)千安の戦いのおりに、越後の本庄繁長に攻められ庄内勢大敗し、砂越氏は青沢に退き、後に奥州三春城主・秋田安房守に仕え、その子孫は今も三春に暮らすという。

その後、砂越城は越後上杉、山形最上氏配下となるも、元和3年(1617)に廃城となる。

平成3年砂越城実測図面によれば、土塁内総面積6,885平方メートル、中央北寄りに祀られている諏訪神社が本丸跡となっている。

情報提供:山形県教育委員会

砂越城の口コミ情報

縫殿助剛太犬様[2017年05月08日]
現在、公園となっています。模擬櫓と模擬橋がありましたが、櫓には登れなくなってました。また、公園の中に資料館のような建物もあありましたがこちらも入れませんでした。トイレはありますが、駐車場はありません。公民館の裏に模擬橋があり、わかりにくいです。

中務少輔きたろう三世様[2014年05月05日]
城の大部分は宅地化しているが、本丸、二ノ丸の一部は残っている。

復元された矢倉は、茨城県の逆井城を参考にしたもの。

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