城輪柵(きのわさく)
城輪柵の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 山形県酒田市城輪
旧国名
- 羽後国
分類・構造
- 古代城柵
天守構造
- なし
築城主
- 大和朝廷
築城年
- 9世紀後期
主な改修者
- -
主な城主
- 大和朝廷
廃城年
- -
遺構
- 掘立柱建物跡、礎石建物跡
指定文化財
- 国史跡(城輪柵跡)
再建造物
- 政庁南門、東門、築地塀、石碑
周辺の城
-
新田目城(山形県酒田市)[1.8km]
観音寺城(山形県酒田市)[3.6km]
砂越城(山形県酒田市)[8.3km]
亀ヶ崎城(山形県酒田市)[8.3km]
北目館(山形県飽海郡)[8.4km]
岩井出館(山形県酒田市)[11.3km]
松山城(山形県酒田市)[12.3km]
狩川城(山形県東田川郡)[20.2km]
平形館(山形県鶴岡市)[21.0km]
横山城(山形県東田川郡)[21.4km]
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城輪柵の解説文
[引用元:Wikipedia「城輪柵」の項目]城輪柵(きのわのき、またはきのわのさく)は、現在の山形県酒田市城輪にあった古代城柵である。奈良時代末期に秋田城から移設された出羽国国府の最終的な所在地の有力な候補となっている。昭和59年度(1984年)からの保存整備事業により、政庁南門、東門、築地塀の一部が復元され、現在は国指定の史跡「城輪柵跡」として公開されている。
【発掘調査の沿革】
初めて発掘調査が行われた昭和6年以前にも、「城輪」という地名から遺跡の存在が推測されている。
・『往古此辺に官人の居城ありて、城外に祭れる神を城輪と称し、城地の内を城の内(きのうち)と称せしを後世城を木に改けるにや』(進藤重記「出羽風土略記」1762年)
:「木の内」は遺跡北西部の集落。
・『柵戸の遺跡とも疑はるる節あり』(吉田東伍「大日本地名辞書」1907年)
:城輪、木の内という名称から柵戸の存在を推測。
他にも、歴史学者の喜田貞吉は「城輪・木の内」以外にも「本楯(遺跡中心部から北西2.5キロメートル)・新田目(北西2.0キロメートル)・政所(南東0.8キロメートル)・門田」といった地名が近隣に存在することから、飽海郡衙の存在を推測している。また、須恵器や瓦、礎石と思われる石が出土したことから、阿部正巳によって出羽国国分寺説も提唱された。
・昭和6年(1931年)
:文部省嘱託の上田三平らによる発掘調査により、25センチメートル角の角材が密接して並ぶ遺構が検出される。ほぼ正方位による一辺約720メートルの方形を成しており、外郭には門や櫓が存在していたことが判明した。
・昭和7年(1932年)
:国の史跡に指定
・昭和39年(1964年)
:酒田市教育委員会による予備調査。遺跡中心部の「オ(大)畑」と呼ばれる、周辺水田よりも1メートルほど高い台地部分から掘立柱建物跡と礎石建物跡、二つの異なる時代の遺構が検出される。
・昭和40年(1965年)
:文化財保護委員会(文化庁の前身)による発掘調査。正殿、西脇殿、南門など主要な遺構配置が判明。
・昭和46年(1971年)-
:酒田市教育委員会による継続調査...[続きを見る]
城輪柵の口コミ情報
2019年05月05日 内大臣織田晃司
城輪柵
県道59号沿いにありますので車でのアクセスは簡単です。
城輪柵を取り囲むように駐車場(駐車スペース)があります。
政庁南門越しに出羽三山の一つ鳥海山を眺める事ができます。
2016年06月22日 Midori琉球守
城輪柵
近隣通行中にHPを確認。「公園になっています。ご自由にご見学ください。」の記述に誘われて、現地へ。
ナビで迷わず到達。田畑に囲まれているが周辺道路も走りやすい。
駐車スペースあり。何時でも見学可能。
しかし…夜は周辺真っ暗!敷地の広大さと復元柵の壮大さは実感できるが、月明かりに照らされても、十分な見学は不可。
スマホのライトとカメラのフラッシュを合わせても、太刀打ちできず。
ライトアップされるのは、期間限定(8月?)のようです。
再訪できるかなぁ…。
因みに、60㎞南にある道の駅「あつみ」しゃりんで、綺麗な夕陽を見ながら休憩していたため、到着は21時でした。