観音寺城(かんのんじじょう)
観音寺城の基本情報
通称・別名
- 来次城
所在地
- 山形県酒田市麓楯ノ腰
旧国名
- 羽後国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 来次時秀
築城年
- 16世紀後期
主な改修者
- -
主な城主
- 来次氏、寺尾伝右衛門
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(観音寺城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
城輪柵(山形県酒田市)[3.6km]
新田目城(山形県酒田市)[5.2km]
北目館(山形県飽海郡)[8.2km]
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観音寺城の解説文
観音寺城の口コミ情報
2021年05月04日 太閤 浜べい
観音寺城
公共交通機関組は酒田からレンタサイクルよりは遊佐まで行ってレンタサイクル借りる方が楽に行けると思います
2016年01月17日 カーネル
観音寺城
羽越線南鳥海駅から、城めぐアプリが示す本丸に向かって東へ
観音寺城は、事前にネットで調べた範囲では明確な登山道はないようなので、高低差の少ない北側の林道を登る
本丸の真北のあたりの笹群生地から南に分け入ると、樹林帯に変わりさらに南下
10分ぐらいでアプリの説明書きにもある堀にでます。主郭、副郭を分断する堀に沿って階段状の曲輪が連続していて、土塁も確認できます
林道では膝まであった雪も、樹林帯ではそれほど積雪がなく、拍子抜けでした
城は手入れが行き届いている、というと言い過ぎですが、適度に間伐されていて、また標高差もあまりないので、多少の藪こぎを我慢すれば、どこからでも登れそうです
40分ほど散策してから、西麓にある天降神社に行き、城の案内看板を見ました
その後は、城輪柵と新田目城を経由して、本楯駅まで歩いて4時間半。靴と靴下がびしょ濡れで辛いです
夏なら酒田駅でレンタサイクル借りるのがいいと思います。あと、山から降りてきたら、(たしか)観音寺循環。と書かれたバスが走ってて唖然としました
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです
2012年03月03日 さくら主膳佑にゃ〜
観音寺城
16世紀後半、出羽の名族清原氏の後裔、来次時秀によって築城された。当時武藤氏麾下にあった時秀は、父氏房の館(古館)では防御に難があるとし、城地を現在の東方山腹上に移した。
時秀の子氏秀の代には庄内を巡る武藤、最上、上杉氏の抗争が激化するが、天正十六年(1588)上杉景勝の部将本庄繁長によって武藤氏は尾浦城を失い、庄内は上杉領となった。氏秀は繁長を通じ上杉家臣となり観音寺城を預かるが、慶長五年(1600)上杉氏が庄内を失うと転封先の米沢へ移住した。
観音寺城の周辺スポット情報
説明板(碑・説明板)
標高50メートルの所にあり、東西150メートル、南北350メートル、標高差20メートルである。
城の遺構は東から西向きの斜面にある。東側と北側は深い沢が林道で、西側と南側は登坂困難な急斜面で自然の要害である。
北の郭の東側と北側には土塁が作られている。北の郭と南の郭の間には深さ4メートルの空堀があり、橋が架けられていたという。
南の郭の北側には一部土塁があり西側と南側には曲輪がある。城は梯子型築城と言われている。
来次氏房が古楯に平城を築城したが、その子時秀は、平城では防備上不安のため、元亀元年(1570)をさかのぼることそう遠くない時期にこちらの楯山に城を移し、観音寺城を築城した。天正18年(1590)までの20年余りが存続期間である。天正18年城主・来次氏秀に代わって寺尾伝右衛門が入城したが9月に討死し、同年破城された。