横山城(よこやまじょう)
横山城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 山形県東田川郡三川町横山
旧国名
- 羽前国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 押切備前守
築城年
- 16世紀後期
主な改修者
- -
主な城主
- 押切氏、武藤氏
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
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横山城の口コミ情報
2023年09月17日 RED副将軍
横山城
土塁の一部が残る大宝寺氏の属城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。1512年頃に押切備前守による築城と云われます。
押切備前守は、大宝寺澄氏の家臣であり丸岡城から横山城へ移り守備をしたと伝わります。
庄内地方を統治していた大宝寺澄氏と、その一族で砂越城の砂越氏雄とが争っており、大宝寺城と砂越城の間であるこの地に築城されたと考えられています。
しかし、1532年には天文の争乱により横山大膳が奪いましたが、1571年に大宝寺義氏は横山氏を滅ぼし、1575年に家臣の武藤氏広を入城させました。
1583年に山形城の最上義光が大宝寺氏家臣である東禅寺義長を調略し、大宝寺義氏が自害に追い込まれ大宝寺氏は衰退。横山城の武藤氏広は最上氏の支配下となります。
1588年、最上義光の支援を受けて庄内地方を統治していた東禅寺氏は、上杉氏家臣である村上城の本庄繁長と衝突し十五里ヶ原で戦いましたが上杉氏に敗戦。横山城は焼き討ちとなり、庄内地方は上杉氏の所領となりました。
その後、関ヶ原の戦いにより上杉氏は改易となり、
庄内地方は再び最上義光の所領となります。
その後の横山城の動向は記録にありませんが、1615年の一国一城令により廃城となった様です。
見所
現在では主郭北側の土塁が残るのみで、土塁上には稲荷大明神が祀られています。
往時は主郭は土塁と水堀が巡る城郭であったとされますが宅地化によりほぼ消失しています。
2012年03月31日 奥州王征夷大将軍毘沙門天乱丸
横山城
現在、八幡宮様ですが周囲を散策したところ土塁と空堀が確認出来ます!
2012年03月19日 奥州王征夷大将軍毘沙門天乱丸
横山城
細い路地裏に入るのでコンビニに車を置いて歩いて行った方が無難です(^_^;)