出羽丸岡城(でわまるおかじょう)
出羽丸岡城の基本情報
通称・別名
- 丸岡城
所在地
- 山形県鶴岡市丸岡字町ノ内68他
旧国名
- 羽前国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 押切備前守
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 押切氏、丸岡氏、武藤氏、上杉氏、最上氏、酒井氏
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 土塁、堀
指定文化財
- 県史跡(丸岡城跡及び加藤清正墓碑)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
鶴ヶ岡城(山形県鶴岡市)[5.3km]
尾浦城(山形県鶴岡市)[10.2km]
横山城(山形県東田川郡)[10.8km]
大網館(山形県鶴岡市)[11.3km]
藤島城(山形県鶴岡市)[11.4km]
出羽丸岡城の解説文
[引用元:Wikipedia「出羽丸岡城」の項目]丸岡城(まるおかじょう)は山形県鶴岡市丸岡にあった日本の城で、県指定史跡。
【歴史・沿革】
庄内と内陸部を結ぶ六十里越街道沿いの要地にある城で、鎌倉時代よりこの地方を支配する武藤氏の支城がおかれていた。
武藤氏のあと上杉氏、最上氏と領主が変わるが、元和元年(1615年)の一国一城令により取り壊された。のち最上氏が改易され、元和八年(1622年)に酒井氏の領地となった。
寛永九年(1632年)に熊本藩主加藤忠広が改易となり、酒井氏に預けられた際、酒井氏はこの城に忠広の居館などを造り居住させた。忠広没後は幕府直轄領となる。
現在は、南側の一部は宅地となり、他はほとんど畑になっている。
【遺構】
城跡の広さは2ヘクタール。遺構は、土塁や堀などである。[続きを見る]
出羽丸岡城の口コミ情報
安田越後守秀俊様[2018年10月17日]
・墓所情報・
丸岡城隣接の天澤寺には加藤清正の墓(五輪塔)、清正閣、加藤忠広配流に従った家臣の墓、加藤家御付きの医師 英梅庵の墓、最上家 上山城主 里見義近一族の墓 等があります。
また、丸岡城に配流となった加藤忠広とその母 正応院の墓は鶴岡市街 三光町の本住寺にあります。
カーネル様[2016年05月04日]
羽越本線鶴岡駅から
鶴ヶ岡城を見学し、未攻略だった大網館をとるため、適当に南下しながらポチポチしてても全然とれない
国道112号をひたすら歩いたら取れたけど、これから引き換えしても予定の鶴岡発の電車に乗れないは決定的だったので、残り1kmの出羽丸岡城へ行くことに
アプリが示す史跡公園を目指して歩けばよく、近づくと看板も出てくるので安心です
看板に従うと天澤寺に。境内には清正公の墓碑があります
お城はキレイに整備され、周囲の風景と調和がとれ癒されました
帰りは1.5kmくらい戻ると、国道沿いに南工業団地バス停があるので、バスで鶴岡駅へ
鶴岡駅から鶴ヶ岡城と出羽丸岡城を経てバス停までが2時間半
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです
三沢出羽守伊兵衛様[2012年04月28日]
無料駐車場とガイドパンフが完備されてます。パンフもらったら募金もしましょう。何といっても見所は、清正公の墓碑ですね。
マイリバ様[2010年06月10日]
石碑&解説板&堀など、見応えのある城跡ですが、何と言っても加藤清正の墓碑は要チェックです
豊家の行く末を案じていた清正でしたが、子・忠廣の代で肥後54万石を失い、遠く出羽・丸岡の地に眠り、同じく秀吉股肱の猛将として並び称される福島正則も安芸49万8千石を召し上げられ、信州・小布施の地に眠る…豊家を守りきれなかった2人の奇妙な因縁を感じさせます(合掌)
山形では最上、上杉、直江ばかりが注目されますが、丸岡の地では豊臣恩顧大名の挽歌が奏でられていたのです
のぼちゃん陸奥守様[2010年06月08日]
国道112鶴岡櫛引付近を走行すると『丸岡城跡』の看板があり、無料駐車場もあります。敷地内は、神社になっており、あの有名な加藤清正の墓がありますよ。