小野城(おのじょう)

小野城の基本情報

通称・別名

所在地

秋田県湯沢市泉沢

旧国名

羽後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

姉崎六郎

築城年

建長・文永年間(1249〜1275)

主な改修者

主な城主

姉崎氏、町田氏(小野寺氏家臣)

廃城年

文禄4年(1595)頃

遺構

曲輪、堀切、横堀(空堀)、畝状堅堀群、虎口

指定文化財

市史跡(小野城址)

再建造物

説明板

周辺の城

湯沢城(秋田県湯沢市)[9.1km]
稲庭城(秋田県湯沢市)[11.2km]
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小野城の解説文



小野城(おのじょう)は、秋田県湯沢市雄勝泉沢字古館にあった日本の城(山城)。湯沢市指定史跡。

概要 

雄物川左岸、北側にある標高216メートル、比高差90メートルある丘陵先端付近に築かれた山城で、規模は本丸で南北40メートル、東西100メートルで、すぐ西側の二の丸は南北40メートル、東西70メートルで、三の丸は南北50メートル、東西70メートルである。本丸と二の丸の比高差は7メートル弱である。

当初、鎌倉時代にこの地に入った小野寺氏の家臣・姉崎四郎左衛門の居城と伝わるが、町田長右衛門が城主だった文禄2年(1593年)に最上氏に攻められ落城したという。

2000年(平成12年)10月26日に湯沢市の史跡に指定された。

小野城の口コミ情報

2023年05月04日 気分爽快豊後守
しなの館[小野城  周辺城郭]



登城困難なだけに、遺構もしっかり残っているらしいので、雪解けを待って攻城してきました。神社の鳥居を抜け祠までは道もしっかりしてましたが、そこからは急坂を直登り。途中へこたれそうになりながらもなんとか登りきり、日暮までの時間が迫る中、急いで見学してきましたが、時間をかけてゆっくり回りたい城です。道がないので、山登りアプリとともに行かないと、遭難するかもしれませんので、要注意です。

①林道の切れ目に見つけた竪堀から登る
②竪堀は堀切となり、その横に畝状竪堀あり
③五重堀切の主郭寄りが最も深い
④西側尾根に連なる堀切
⑤最後の堀切も深い
⑥なんとか三重堀切をフレームに収めてみた
⑦南斜面には畝堀が連なる
⑧東側尾根も規模は小さいが堀切あり

2023年04月20日 気分爽快豊後守
小野城



登城路は2つあり、どちらからでも2郭に到達します。主郭西に、竪堀、畝堀、三重堀切がコンパクトにまとまっています。それほど高くない山城ですが、鋭い切岸、数種の堀、主郭からの眺めが楽しめますので、是非藪の少ない時期に登城してみてください。

①2郭から主郭方面を望む
②主郭南の腰郭
③竪堀
④畝堀①
⑤三重堀切
⑥畝堀②
⑦主郭内部
⑧3郭下の堀切

2022年04月30日 【配龍】沼田乃豆腐屋
臼館[小野城  周辺城郭]



館跡は堀切によって三面に区画され主郭は南側。東南斜面に3条の空堀と8条の竪堀で防御している。役内川を挟んだ法領館(院内城)との距離は約800mでそれぞれを視界に捉える事ができる。法領館を本城とした支城としての機能があったと考えられる。

①三の郭の周りの帯郭、武者走りのよう
②主郭と二の郭を隔てる二重堀切
③斜面には所々投石用と思われる石がある
④【見所】主郭南部にある二重堀切、中の土塁が畝状竪堀のように区切られている
⑤主郭部

2022年04月30日 【配龍】沼田乃豆腐屋
草井崎城[小野城  周辺城郭]



館は東から伸びる枝尾根に9条の堀切(幅3~5m、深さ1~3m)を設け、20×6mの主郭を中心に、西に腰郭を配置した単郭であるが南西端及び北西側に150,250㎡程度の平坦面をもっている。

①主郭下の大堀切
②主郭下の大堀切に降りてみた
③主郭下の大堀切はそのまま竪堀に変化
④主郭東側にある九重の堀切①
⑤主郭東側にある九重の堀切②
⑥主郭の一部が高くなっている。狼煙台または見張台か?使われていたと考えられる大きな石もある。

2021年10月29日 【配龍】沼田乃豆腐屋
しなの館[小野城  周辺城郭]



◎役内川中流域の左岸、神室山塊から北方向に伸びた支尾根先端ピークに築かれた山城。

◎縄張りは頂部に構築された主郭を中心に北方向に展開され、北側の突端には北郭が設けられ、南側稜線を五重堀切で遮断して城域を区画している。両郭間は急傾斜の痩尾根で繋がっていて、途中の尾根を二重堀で遮断し、導線は東側側面を迂回して主郭―北郭間を繋いでいる。

◎見所は主郭東側斜面に敷設された28~29条の畝堀竪堀群で秋田県内で見られるものとしては最大である。また、南側稜線を断ち切った五重堀は長大な竪堀を伴ったもの。1条目の堀切は南西側に廻り込む横堀に変化し、南西側の斜面を5条の竪堀で刻んでいる。

◎しなの館の城主等、歴史については不明である。遺構的には小野城と似た要素が多く、小野寺氏の境目の城として構築された城の1つであったのではないかと考えられる。

《2021年10月25日登城》
☆麓の野中集落のリンゴ店の方に伺うと、幼き頃はよく友達と一緒に、おにぎりを持って山頂(主郭跡)まで遊びに行ったそうです。当時は木も低く、遠くの村が見渡せたが、現在は薮が深く、行くことは全く無くなったとのこと。
☆集落にある鳥居をくぐって山中へ。つづら折りの山道を登ると、程なく祠が見えてくる。その祠の後から薮を約100m直登りすると稜線にたどり着く。そこが北郭となる。城内に入ると稜線沿いに歩けるが、それ以外は薮が酷いため、GPSトラックログは必須である。さらに、クマ鈴、蚊取り線香等も忘れてはいけない。
☆以上を踏まえた先には素晴らしい遺構がまっています。見所たくさんで、8枚の写真以上にお伝えしたいところがたくさんあります!

☆香川元太郎先生の『ワイト&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 戦国の城』にも、しなの館のイラストが掲載されています。

①北郭の北西側にある土塁
②北郭と主郭の間にある二重堀切の1条
③主郭跡にある太平山神社(移転済)祠跡。雪の重みで潰れてしまったのだろうか?西馬音内城にも似たような場所がある
④主郭の周りには腰郭がたくさん設けられている
⑤主郭南側には五重堀切がある。写真には2~4条目が写っているのがお分かりだろうか?
⑥主郭西側にも4条の畝状竪堀群がある
⑦主郭東側にある畝状竪堀群
⑧畝状竪堀の頭上に1~2人が立てそうな腰郭がある。石がまとめて置かれているように見える。投石陣地だろうか?

2019年05月23日 【配龍】沼田乃豆腐屋
小野城



築城年代は定かではないが建長・文永年間(1249年~1275年)頃に姉崎六郎(姉崎四郎右衛門とも)によって築かれたと云われる。 姉崎氏は小野寺氏の入部に随行してきた家臣で、院内の押さえとして小野城を築いたと云われる。

2016年02月07日 カーネル
小野城

奥羽線横堀駅から北西に進み踏切を渡ったらすぐ左折して鮎の養殖場を目指します。かわを渡ると小野城登山口まで車で3分とありますが、道は完全に雪で埋没してるので、強硬突破

積雪は2m弱で道がわからないので左手に用水路?小川?を見ながら北東へ。途中雪に隠れた川を渡るので要注意。落ちたらアウトです

しばらくして左に山肌が近づいたら見上げると主郭と西の大堀切がみえます

さらに進んで最初の民家の脇に登山口があります。車で3分は徒歩1時間でした

あとは、本アプリから起動GoogleMapを頼りに本丸へ向けて道らしいところを歩きます。道に悩んだら緩い傾斜を探すようにするとよいです

とは言え最後の本丸直下で行き詰まり直登開始。先までは膝までだった雪がベルトまで達し、頂上は見えてるのに全然到達できず

なんとか頂上に着いたのは、駅を出て1時間半後。さらに頂上の雪が深く、歩き回るのに一苦労。雪山城、難攻不落です

登りに20分くらいかかったとこが、下りは30秒でした


2014年05月04日 中務少輔きたろう三世
小野城

小野郷は、小野小町の出生・入滅伝説が残る場所。

GWに登城したが、雪が登城路に結構残っていて、桜と雪が一緒に見られる不思議な光景だった。

城の正面方向には郭が幾つか連なっており、本丸の裏側には畝状の遺構、尾根筋には三重の堀切が見られる。

2012年05月31日 傾奇揚げ仙兵衛
小野城

小野城対岸にある道の駅おがちは有料100のシャワールームがある

小野城の周辺スポット情報

 説明板・裏コース登城口(碑・説明板)

 しなの館(周辺城郭)

 草井崎城(周辺城郭)

 臼館(周辺城郭)

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