湯沢城(ゆざわじょう)
湯沢城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 秋田県湯沢市古館山
旧国名
- 羽後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 小野寺道定
築城年
- 建治3年(1277)
主な改修者
- -
主な城主
- 小野寺氏、楯岡満茂(最上氏家臣)
廃城年
- 元和6年(1620)
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、櫓台
指定文化財
- 市史跡(湯沢城址)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
岩崎城(秋田県湯沢市)[5.3km]
小野城(秋田県湯沢市)[9.1km]
稲庭城(秋田県湯沢市)[10.5km]
西馬音内城(秋田県雄勝郡)[11.1km]
吉田城(秋田県横手市)[14.7km]
横手城(秋田県横手市)[18.9km]
大鳥井柵(秋田県横手市)[19.7km]
赤館(秋田県由利本荘市)[19.9km]
大森城(秋田県横手市)[21.8km]
玉米館(秋田県由利本荘市)[23.6km]
湯沢城の解説文
[引用元:Wikipedia「湯沢城」の項目]
湯沢城(ゆざわじょう)は、秋田県湯沢市(出羽国雄勝郡)の古館山(湯沢中央公園)にあった日本の城。湯沢市指定史跡[1]。
概要
小野寺氏の系譜や事跡については、史料的裏付けがとれず不詳な点が多いが、鎌倉時代に雄勝郡へ入部した小野寺経道が稲庭城を本拠とし、南部の抑えとして三男の小野寺道定が1227年(安貞元年)に湯沢城を築いたとされている[2]。
奥州仕置による一揆鎮圧後、最上義光が代官となり領有権を主張して小野寺氏と対峙した。1595年(文禄4年)に湯沢城が落城し、最上氏の家臣楯岡満茂の居城となる。
その後慶長出羽合戦などで戦略拠点となった。1602年(慶長7年)に出羽国へ転封された佐竹氏が最上氏と領土を交換したことで佐竹南家領となり、初代領主の佐竹義種が湯沢城の城郭や城下町の整備を行ったが、1620年(元和6年)の一国一城令により廃城となった。以後の佐竹南家は城下(現在の湯沢市役所所在地)に館を建てて住んだ。
構造
力水
城跡の山麓から湧き出ている湧水で、佐竹南家のご用水として使用されていた。「からだに力がつく水だ」と城主や藩主が愛用したことからいつしか「力水」と名付けられ、石碑が建てられている。1985年(昭和60年)名水百選に選定され[3]、また1990年(平成2年)には国土交通省の「手づくり郷土賞」(生活を支える自然の水)に選ばれた[4][5]。
現地情報
- 所在地
- 秋田県湯沢市 湯沢中央公園内
- 交通アクセス
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)奥羽本線 湯沢駅から徒歩で約10分
- 東北中央自動車道 湯沢ICから5分
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湯沢城の口コミ情報
2022年10月03日 陸前守剛太犬@歴読
湯沢城
麓の清凉寺から登城。15分くらいで馬荒い池に到着するも登坂が急で疲れた。見晴台や堀切などが見所。何より小野寺氏と最上氏の戦いの舞台となったところに来れて興奮。
2022年05月19日 【配龍】沼田乃豆腐屋
八幡林館[湯沢城 周辺城郭]
北西部の民家わきから山腹の施設(水道関係?)への道があるということで山に入ったが、50mくらいで藪ってきて道がなくなり、GPSを頼りに直登した。運よく尾根筋に行き当たり、そのまま藪を漕いで城跡を目指す。
一番先に見えたのが、謎の施設。この辺りから城域となり、曲輪や切岸が分かる。階段状の曲輪をひとつずつクリアして、ようやく主郭へ辿り着いた。主郭南部の二重堀切を確認後、東側に回り込み、畝状竪堀群を確認しながら下山した。
今回のアタックでは、草木が生い茂り、また、雪による倒木のため畝状竪堀群がとても確認しづらかった。ただ、竪堀の規模は、近くの小野城や臼館、田代城や館山館よりも深いものであった。倒木を除去できたらいいなぁ。もう少し早く、4月下旬〜5月上旬ごろがベストでしょうね。
なかなか過酷なリア攻めになります。行かれる場合はそれなりの装備を整えて行くことをオススメします。さらに、このあたりにはクマの目撃情報もあり、数年前は民家近くでクマに襲われた事例もありますのでお気を付けて。
①北側の堀切、ここから城域に入る
②藪の中に現れる水道関係?の施設
③切岸
④曲輪
⑤主郭部
⑥主郭南部の二重堀切
⑦畝状竪堀群の一条
⑧周りは犬走りのようになっている
2021年11月11日 【配龍】沼田乃豆腐屋
柳田城[湯沢城 周辺城郭]
「奥羽永慶軍記」に柳田治兵衛、「雪の出羽路」に柳田治兵衛尉藤原定道とあり共に小野寺家臣と伝える。機能した期間は定かでは無いが慶長年間に最上方により落城したと伝えられる。神社・宅地化で遺構は消滅している。現在も堀回という地名が残る。
①柳田城趾碑
②城跡は現在、八幡神社となっている
③冬囲いを施した八幡神社
④境内にある石碑群。後ろは土塁の痕跡だろうか?
⑤城跡の西側(雄物川の堤防)より。周りより一段高くなっていることが確認できる
2021年08月12日 曲輪但馬守削平
湯沢城
国土地理院地形図を使われる方はご注意を。主要道以外は藪で廃道状態に見えます。馬舍跡から清凉寺に行く道も違う所を通っています。
2021年05月23日 【配龍】沼田乃豆腐屋
古舘[湯沢城 周辺城郭]
古館という地名に土塁が残る。詳細は不明。
2020年03月15日 【配龍】沼田乃豆腐屋
駐車場[湯沢城 駐車場]
市役所前、力水の横から中腹まで車で行けます。駐車場は5台停められます。ここから二の丸跡前を通り、見張台跡までは約20分です。歩道は整備されてますが、起伏はあります。
2020年03月15日 【配龍】沼田乃豆腐屋
湯沢城址線駐車場[湯沢城 駐車場]
湯沢高校と裏門をつなぐ『湯沢城址線』。途中には駐車場があり、目の前の登城口から馬場跡~本丸跡を抜けて見張台跡までは、だいたい徒歩7分ほど。起伏はほとんどありません。
2019年10月20日 安田大蔵卿秀俊
湯沢城
城下の清涼寺に 秋田久保田藩佐竹家の分家 湯沢城代 佐竹南家の墓所があります。
(本堂の裏。湯沢市指定史跡)
2016年03月05日 カーネル
湯沢城
奥羽本線湯沢駅から
駅を背に東へ商店街を抜けて中央公園をめざします。公園の北西のあたりに力水が湧いています
力水を飲み、ここから山中へ続く道があり登ると二の丸へでる
道は標識が整備されていて、階段もあるのでわかりやすいです。二の丸は行き止まりなので、南下して本丸跡をめざす
堀をいくつか越えると本丸で、さらに奥に進むと馬場跡があり、その先は車道にでるので、ここで引き返す
帰りは本丸の先で左折(西)して見張り台跡を経由して下りました。見張り台からは眺めが良いです。下ると清涼寺に出ます
駅に戻って2時間弱でした
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです