塚崎城(つかさきじょう)

塚崎城の基本情報

通称・別名

塚崎御船山城、武雄城、後藤山城

所在地

佐賀県武雄市武雄町大字武雄字小路

旧国名

肥前国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

後藤資茂

築城年

元永年間(1180〜1120)

主な改修者

主な城主

後藤氏

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪、石垣

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

潮見城(佐賀県武雄市)[3.1km]
おつぼ山神籠石(佐賀県武雄市)[3.9km]
須古城(佐賀県杵島郡)[8.2km]
住吉城(佐賀県武雄市)[9.4km]
梶峰城(佐賀県多久市)[10.1km]
湯野田城(佐賀県嬉野市)[10.9km]
常広城(佐賀県鹿島市)[11.1km]
鹿島城(佐賀県鹿島市)[11.8km]
蟻尾城(佐賀県鹿島市)[12.2km]
獅子ヶ城(佐賀県唐津市)[13.9km]

塚崎城の口コミ情報

2022年10月12日 龍馬備中守【佐竹扇】
久津具城[塚崎城  周辺城郭]



佐賀県の武雄市の北方にある【久津具城】♪六角川と武雄川が合流する北側の標高34.5mの低丘陵に城郭は築かれました♪

歴史詳細は一切不明ですが、塚崎城の後藤氏の属城か?はたまた橘薩摩渋江氏の属城か?真相は分かりません…☆また改めて調べてみようと思います♪

低丘陵地の北方が1番高い場所になっていて主郭と思われます♪主郭と思われる場所の山頂部には山王神社の境内が残ります♪後の改変もあるでしょうが、この山王神社を取り巻く様に帯郭、腰郭が残ります♪さらに南側の尾根にも平地が拡がりますが墓地や農地になっています♪南側の梅林寺との間は道路になっているのですが、主郭部へ向かう、堀兼動線だったんでは無いか?妄想が拡がりました♪

2022年09月23日 龍馬備中守【佐竹扇】
川良館[塚崎城  周辺城郭]



佐賀県武雄市の【川良館】♪現在は個人様宅です☆川良村は南北朝時代に北朝方の少弐頼澄・今川仲秋の連合軍が南朝方の後藤氏・肥後の菊池氏の連合軍と対峙し、激戦の場となった集落です☆この川良館は武雄後藤家18代目の後藤純明の館と伝わります♪後藤純明は17代目の後藤職明の養子♪後藤職明には子がいませんでした♪実父は橘姓渋江公勢♪実父の橘姓渋江公勢が毒水を飲んで死んだのを好機に渋江氏を攻略し、長島庄を自己の領地としています☆肥前国で龍造寺氏が台頭してくる前には島原・有馬氏に属した後藤氏です♪
龍造寺家兼や千葉喜胤と戦い勝利し、武勇を轟かせました♪
渋江公勢の三男(すなわち純明の実弟)である渋江公親が長島庄の旧領を回復すべく岸岳城主・波多隠岐守と平戸城主・松浦肥前守と共に攻め入ってきた際に防戦するも失敗し住吉城に退却☆三男・渋江公親は長島庄を回復していて日皷山城に入るも後藤純明は日皷山城を攻略し公親を敗走させました☆後藤純明は居館を塚崎城に移します☆
天文12年に後藤純明は少弐家臣の馬場頼周から龍造寺氏を計略にかける為協力を求められます☆馬場頼周は他にも有馬晴純や多久氏、波多氏、鶴田氏、馬渡氏など西肥前の豪族に協力を求めました☆龍造寺家兼の主君もまた少弐冬尚です☆
少弐家に対して叛旗を翻し兵を挙げたふりをしました☆少弐冬尚には龍造寺家兼が謀反を企んでいると信じ込ませます☆龍造寺氏を計略にかける為に龍造寺家兼には西肥前の豪族達の討伐を命じるよう働きかけました☆
龍造寺家兼は少弐冬尚が命ずるままに西肥前に攻め寄せましたが龍造寺軍は敗走☆龍造寺家兼が居住する水ヶ江城は逆に包囲されています☆馬場頼周は龍造寺一族の一部を少弐冬尚に謝罪に来させ残りは筑前に一時退避させる事が良いだろうと龍造寺家兼に提案☆
が、しかし馬場頼周により謝罪に来た時も筑前に退避しようとした時も途中で待ち伏せされて殺され龍造寺一族は滅亡の危機に陥りました☆馬場頼周にとって、龍造寺一族は目の上のタンコブだった訳です…後に龍造寺家は筑後蒲池氏に助けられ、佐嘉の地を回復させ九州三強の1人、龍造寺隆信が台頭してくるのはもう少し先の話です☆
あっ🫢話がそれたw川良館の話でしたね…後藤純明は天文22年に、ここ川良館で没したと云われています☆川良館には土塁と思われる遺構が残ります☆

2022年09月21日 龍馬備中守【佐竹扇】
川良古城[塚崎城  周辺城郭]



佐賀県の武雄市にある川良古城♪現在は運動公園が造成されていて遺構は消滅しています☆が地形はそのまま残っています♪
古くは河良として登場します☆
後に(明治16年)川良として出てきます♪

標高235mの柏岳の南麓に♪眼下には円応寺更には甘久川♪円応寺南西側の舌状台地に川良古城は存在しました♪

平安時代には長島庄に属していて蓮華王院領として、鎌倉時代は橘薩摩氏の所領でありました♪室町時代には塚崎庄が成立すると、此れに属しました♪塚崎城主・後藤氏の所領となっています♪

築城は塚崎後藤氏の17代目・後藤職明と云われています♪ただ規模は小さく砦館であったと考えられています♪
塚崎城主後藤氏は後藤職明の代に黒髪山まで勢力を伸ばしていたと考える事が出来て、黒髪神社の宮司の任免権を握っています♪

この後藤職明は戦国動乱の文明15年(1483年)に自衛の為に潮見城主・橘姓渋江公直と伊万里城主・伊万里仰と、鹿島の在尾城主・大村胤明、更には藤津の有馬氏?もかな?各領主と攻守同盟を結んでいます♪

川良古城の下には円応寺馬場という地名が残っていました

2022年09月20日 龍馬備中守【佐竹扇】
諏訪山城[塚崎城  周辺城郭]



佐賀県の武雄市にある【諏訪山城】♪別名を諏訪砦、八並山砦と呼びます☆
後藤家の6代目の後藤常明の弟である後藤共明が八並村を与えられて分家したとされています♪鎌倉時代の前期になります♪

後藤共明は分家するとこの諏訪山丘陵に城郭を構え居館しました☆
以降、八並後藤氏と称しています♪
弘安4年(1281年)元寇襲来時に八並後藤氏の3代目の後藤信明は白馬に乗って出陣してしまった為に敵の標的になり、一斉攻撃を受け戦死しています☆
その為に八並村では明治まで馬の飼育をしなかったと伝わります☆
諏訪山丘陵の東麓からは須恵土器が多数出土しています☆
天正2年(1574年)八並後藤氏の11代目の後藤和明は、塚崎城主の塚崎貴明に謀反を企てた養子、惟明に荷担した為に領内から追放され八並後藤氏は断絶しています☆

諏訪山城は諏訪神社のある南北に長い丘陵に築かれています♪神社の北背後には円形の土壇が残り、丘陵地は削平地となっています☆
諏訪山城の城内には『八並さん』と呼ばれる石塔が残ります♪更に眼下の長崎街道には八並の石塔が残ります♪

2022年09月19日 龍馬備中守【佐竹扇】
富岡城[塚崎城  周辺城郭]



佐賀県の武雄市にある【肥前・富岡城】♪武雄温泉駅の北側の丸山丘陵(天神山)に城郭は存在しました♪眼下には長崎街道が走ります♪平安時代から鎌倉時代までは長島庄に属しますが、その後は一三世紀、十四世紀に成立した塚崎庄に属しています♪
塚崎城主・4代目の後藤宗明は三男の後藤信明を分家にして富岡村を与えています♪
富岡後藤氏となった信明は丸山丘陵(天神山)に城郭を形成☆居城としています♪
塚崎城の東の守りを受け持ちました♪

戦国時代には龍造寺隆信の三男、龍造寺家信が塚崎城主の20代目に迎えられると、後藤幸明は武士を捨て長崎に移住し商人となっています☆その後は、また再び富岡後藤氏の直轄地に戻っています♪
この肥前・富岡城を築いた際に、天神社を勧請していて、この天神社を城と村の守神とした事で、天神山と呼ばれる様になりました♪

幕末には武雄領は鋳砲に成功した洋式銃の試射を、南側にある白岩丘陵に向けて行っています♪
明確な遺構は竪堀状の掘り込み、切岸、削平地♪現在は公園になっています♪御船山が綺麗に見えました

2021年09月20日 織田上総介晃司
塚崎城

駐車場はありません。

主要部の曲輪は武雄高校と住宅街の間にあり、住宅街側から階段を上ると曲輪(公園)に塚崎城碑があります。

車で移動して(リア攻めマップ参照)デイケアセンターの送迎用の駐車場を間借りして写真だけ撮りました。

塚崎城の近くに武雄温泉。南西に進むと嬉野温泉があります。

嬉野温泉では豆腐が温泉に浸かり豆腐の人生の角が取れて丸くなったような温泉湯豆腐を食べることができます。
「ちょっと何言ってるのかよくわからないんだけど」と思う方か、どんな湯豆腐か気になる方は食べに行ってみては…

2019年08月27日 風祭すぅ
塚崎城



武雄高校の西側の住宅地
一番奥の階段をのぼると、公園があって標柱があります。

塚崎城の周辺スポット情報

 石門(遺構・復元物)

 川古合戦殉死者の碑(碑・説明板)

 富岡城(周辺城郭)

 諏訪山城(周辺城郭)

 川良古城(周辺城郭)

 川良館(周辺城郭)

 久津具城(周辺城郭)

 磐井の砦(磐井城)(周辺城郭)

 宮裾館(周辺城郭)

 山代氏芦原館(周辺城郭)

 後藤貴明隠居館(周辺城郭)

 志久城(周辺城郭)

 長三溝(周辺城郭)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore