山代氏芦原館

山代氏芦原館([塚崎城  周辺城郭])

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山代氏芦原館の口コミ情報

2023年12月05日 龍馬備中守【】


佐賀県の武雄市にある【山代氏芦原館と青幡神社】♪現在は居館があった付近には、石塔群が残っています♪杵島山、勇猛山の北麓で、樺島山の南側の平野部に居館跡は存在しました♪

この、芦原集落は平安時代は蓮華王院領、鎌倉時代には橘薩摩氏の所領でありましたが、室町時代の始めには塚崎庄に含まれ、塚崎城主・後藤氏の所領となっています☆が、後藤氏は、この所領を肥後国の菊池武顕に譲っています♪菊池武顕田地寄進状(武雄神社文書)の中に正平19年(1364年)『長嶋庄葦原平倉内 安東左衛門尉跡田地廿六坪壱町』とあります♪

天正11年(1583年)佐賀藩祖・鍋島直茂から、鍋島姓を与えられた、松浦党の山代城の城主・山代茂貞(山代虎王丸)が芦原巴主として、入部し、塚崎後藤氏の領地を譲り受けます♪この時の居館が山代氏芦原館であります♪築城は天正15年(1587年)頃と云われていますが、定かではありません☆
江戸時代に佐賀藩が成立すると、山代氏は替地を与えられ移り、芦原の地は佐賀藩本藩領となっています♪

因みに、須古城で有名な、龍造寺隆信🆚平井氏の須古城の戦いです☆戦国時代に龍造寺隆信は4回攻め込むという、軍事行動を起こしています☆
この間には、塚崎後藤氏が取り込んだ養子、後藤惟明(父は松浦党の松浦隆信)が、義理父である後藤氏に反乱を起こします☆往時、白石、武雄方面を攻めたかった龍造寺隆信です☆龍造寺隆信と後藤貴明(大村純前の子)は、和睦を成立させ、須古の平井氏を抑え込む事に力を注ぎました☆須古城を破った龍造寺隆信は、対有馬氏、大村氏に対峙する様に、須古城の改修を考え、隠居城として強化しています♪その際に、塚崎・後藤氏は武雄周辺の給人、被官層から、後藤氏への忠誠を誓わせています♪そして、ここ芦原衆も8名の百姓が、この忠誠を誓っています☆

地名の由来ですが、北側にある六角川の氾濫地に形成された湿地帯のアシの原によるものだと考えられています♪その後六角川は、川幅は縮小され、田畑へ水を流す様に水路を掘られていますが、未だに氾濫をする暴れ川となっています☆

集落内にある青幡神社は、古くより『青幡さん』と呼ばれています♪青幡神社がこの地に勧誘されたのは、天正15年〜17年(1587年から1589年)の間と伝わります♪
コレは、芦原の地に入部した松浦党の山代城の城主・山代茂貞(山代虎王丸)が、先祖伝来の山代郷から芦原に伝えたとされています♪

冒頭にも記しましたが、居館跡には何も残りません☆でもソコには、確かに肥前の大きな流れの中に歴史がありました♪何もなくて良い♪勿論、遺構があるには越した事は無いけど、それでも良い♪忘れられない様に、記していきます♪

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