磐井の砦(磐井城)
磐井の砦(磐井城)([塚崎城 周辺城郭])
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磐井の砦(磐井城)の口コミ情報
2023年11月19日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県の武雄市にある【磐井の砦】♪中野集落の南にある独立低丘陵に磐井の砦は築城されました♪現在は磐井八幡社が鎮座します♪
6世紀に九州に君臨した『筑紫の君磐井』が朝鮮半島の新羅と結んで、大和朝廷に反乱を起こした際に、この低丘陵地に砦を築き、肥前エリアの拠点として大和朝廷軍と戦ったと云う伝承があります♪砦が築かれたのが、524年と伝わり『磐井の乱』が527年、3年前には乱の伏線を張り込んでいたのかなぁ?
往時、武雄にある柄崎周辺(現朝日町付近)から、現高橋駅付近、あるいは磐井の砦のある盆地周辺が高橋ノ津と呼ばれる海、もしくは低湿地だったと思われる為、多少の起伏、高低差があれば、それは防御になります♪有明海がこの付近まで食い込んでいたのでしょう♪
『…神功皇后新羅御討征ノ折船中ニ於いて大己貴命、素サ鳴命、事代主命ノ三神ニ勝軍ノ始要ヲ折ラレ異賊ヲ討チ肥前国杵島郡高橋ノ津ニ帰還東上ノ途中、宮ヲ造リ三神ヲ祭リ給フ。』
神功皇后伝承が濃厚な肥前ですが、朝鮮半島を討ち高橋ノ津へ凱旋しているという伝承です♪筑紫の君磐井は高橋ノ津を港として、重要な拠点として抑えようとした♪伝承ながら無い話ではないですね♪
さて時を進めましょう♪室町時代の中頃には塚崎後藤氏の分家である中野後藤氏がこの丘陵地に砦館を築き、武雄領の北東側の守りとしています♪この時に勧請したのが、磐井八幡社となります♪
この中野後藤氏は、塚崎後藤氏の19代目・当主、後藤貴明の養子、惟明が養父の暗殺を企てた時、それに荷担して、断絶となっています⭐︎断絶となりますが、中野後藤氏は代々脈々と続き中野後藤氏8代目、清明の時に、鍋島直茂の家臣となったとされています♪
因みに、『葉隠』の山本常朝は中野後藤氏の傍系となります♪