千葉城(ちばじょう)

千葉城の基本情報

通称・別名

東千葉城、祇園城、牛頭城、牛頸城、小城城

所在地

佐賀県小城市小城町松尾860-2

旧国名

肥前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

千葉胤鎮

築城年

文安2年(1445)

主な改修者

主な城主

千葉氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

小城城(佐賀県小城市)[1.9km]
陣の森城(佐賀県小城市)[7.3km]
古湯城(佐賀県佐賀市)[8.1km]
高木城(佐賀県佐賀市)[8.4km]
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姉川城(佐賀県神埼市)[13.0km]

千葉城の口コミ情報

2021年09月10日 龍馬備中守【】
戊遺跡[千葉城  周辺城郭]



佐賀県の小城市、三日月町にある【戊(つちのえ)遺跡】♪ 祇園川が造成した扇状地の僅かに高まる場所に、かつて存在した遺跡になります♪

歴史詳細は不明です☆ただし弥生時代から古墳時代更には中世の居館跡や墓跡などが出土している場所です☆今は田んぼになってはいますが複合的に、しかも時代を跨いで人々が根を張ったという事は住みやすく心地の良い場所だったのでしょう♪

古墳時代の居住跡が発見されていてそれに重複させる形で中世の居館が営まれていた様です♪中世で言うと鎌倉時代辺りなのかな〜?

古墳時代の遺物としては壷、坩、杯、高杯が☆平安時代の遺物は皿形土器が、その他に碗形瓦器や滑石製器物片や青磁碗などが出土しています☆

吉祥神社の南東側一帯が戊遺跡ですが現在は水田になっている為に妄想するしかない訳であります☆

更にこの場所から北方には日吉神社と円教寺があります☆この日吉神社は『山王さん』と呼ばれていて創建は南北朝時代に肥前千葉家の千葉胤貞です☆
江戸時代には小城鍋島家の崇敬厚くて、2代目の鍋島直能は石灯籠を、9代目鍋島直堯は鳥居をそれぞれ奉献しています☆

従って戦国時代、龍造寺隆信がのし上がる前迄は、千葉氏の領域だと思われます☆

古代から中世と歴史がある戊エリア♪
歩いてみると確かに明るくて気持ち良い場所でした☆

2021年09月09日 龍馬備中守【】
平井氏館[千葉城  周辺城郭]



佐賀県の小城市にある平井氏館♪現在は宅地の中にひっそりと土塁の断片を残します☆

室町時代にはこの平井という地には肥前千葉氏一族の平井氏館があったと伝わりますが、中心的な場所は不明です☆
一色道猷地頭職宛行状(実相院文書)には『同国小城郡平井村内田地弐段畠地捌段(久布志良三郎入道跡)』と残っていて久布志良三郎入道の後を実相院にかかわる服部美濃房に宛行った事が分かります♪集落内には日蓮宗の修善院があるのですが本寺は鍋島直茂の妻・陽泰院の実家・石井家の菩提寺でもあります♪この修善院と国道との間辺りが城域とされていて、この辺りは『千葉舘屋シキ』と呼ばれ城館があった名残を今に残します♪
他にも何かないか☆一通り歩きましたが遺構らしきものはありませんでした☆

結論、築城年代は不明ではありますが戦国時代の千葉氏一族の平井氏の館だったのでしょう♪住宅地に残る土塁の断片は今なお、ひっそりと居館があった証拠を今に残しています♪

2021年06月19日 龍馬備中守【】
今山陣所[千葉城  周辺城郭]



佐賀県佐賀市の【今山陣所】♪龍造寺隆信が一躍、名を知らしめた『今山の戦い』で大友宗麟軍の総大将・大友親貞が築いたのがこの今山陣所です♪高良山に布陣した大友宗麟は諸将に佐嘉城(後の佐賀城)攻略を命じるも容易には進まず、弟の親貞を戦へ派遣します☆大友軍は佐賀平野を取り囲む様に北側の山中から平野部へ6〜8万の兵で攻め寄せます☆対する龍造寺隆信、鍋島直茂の佐嘉城には5千の兵☆最大の危機に陥ります☆4ヶ月に及ぶ戦に業を煮やした大友宗麟は親貞に総攻撃を命じます☆しかし親貞は占いの凶兆を案じ直ちに総攻撃に踏み切らず…一方、長引く戦に佐嘉城の城兵達の士気も下がり龍造寺軍は降伏を考え出しますが、隆信の母・慶誾尼が一喝☆「猫を前にして恐れている鼠のようではないか…!」と、此れにより直茂を中心に奇襲隊を結成☆佐嘉城を飛び出し敵陣を潜り抜けた5百の兵が、親貞の構える今山陣所の背後に伏せます☆この時親貞は本陣で勝利の前祝いと、宴の真っ最中☆軍の士気は緩んでいました☆間者によりこれを知った直茂は夜襲を決行☆敵陣に鉄砲を放つと『寝返った者が出たぞ!』と虚報を流し大友軍を混乱に追い込みます☆同士討ちを始め手薄になった親貞の陣に突入し、6人がかりで親貞を討ち取りました☆総大将を失った大友軍は散り散りに退却☆奇襲は大成功に終わり、この時の大友軍の犠牲は2千人に及びました☆この今山の布陣図は非常に興味深く…龍造寺軍は鍋島直茂、徳島氏、鴨打氏に納富氏や百武氏など古くからの龍造寺家の家臣中心なのに対し、大友軍は大友親貞、高木氏、横武氏、犬塚氏、姉川氏、小田氏、本告氏など佐賀の東側・神埼を中心としたクリーク城館の城主達に加え、佐賀の山間部の少弐氏や神代氏、更には西部の有馬氏、大村氏、西郷氏など多数の佐賀の城主が参戦しています☆龍造寺隆信の急激なのし上がりに、名家・大友からの圧力☆佐賀平野の城主達はこの戦に相当な迷いがあったんじゃ無いかな〜?生き残る為に何が最善なのか?大変興味深いです☆勝機を逃した大友軍は半年の包囲を続るも佐嘉城攻略はならず龍造寺側から和睦提案があり隆信の弟・信周を人質に差し出す事で、講和を受諾☆宗麟は豊後に帰国しました☆この戦を契機に龍造寺隆信は徐々に周囲の勢力を討伐し大友・島津に並ぶ九州三強へとのし上がりました☆どんな戦況に成ろうが諦めなければ道は拓く♪どの時代にも言える事ですね☆

2021年06月19日 龍馬備中守【】
今山の古戦場[千葉城  その他]



佐賀県の佐賀市にある【今山の古戦場】♪今はみかん畑が拡がります☆

眺めが素晴らしくって佐賀市は勿論、遠くは島原半島も望む事が出来る素敵な立地です☆

この場所は龍造寺軍と大友軍が激突した場所で龍造寺軍はこの戦闘に勝利♪龍造寺隆信は一躍九州三強の一角として名乗りを上げていきました♪背後の山に大友親貞は陣を張りました☆そして…この山から佐賀城を睨み付けました☆

山上からは綺麗に船塚古墳も見えます〜♪

2017年10月17日 カーネル
千葉城

唐津線 小城駅から北へ向かいます

県道48号で右折して東へ向かい、祇園川を越えたら、すぐに左折し川沿いを歩くと、薄い肌色の小さな建物がポツンと建っています
この建物の背後に「千葉城址展望台」の看板があるので、案内の従い進むと、登り坂になります

坂道を登り切ると、千葉公園の碑があるので、進むと展望台があります。ここにはお城の説明も

公園入口に戻り、北東へ向かう未舗装路を進むとミカン畑になり、地形が切岸と曲輪がよく残っています

そのまま東に抜けると、金毘羅社があり、お城のものかわかりませんが、階段状の曲輪がいい感じに連なってます

そのまま下って県道48号に戻り、小城城に寄りました。キレイに整備されててよかったです

その後、小城駅に戻って2時間でした

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