佐留志城(さるしじょう)

佐留志城の基本情報

通称・別名

所在地

佐賀県杵島郡江北町大字佐留志字三本松

旧国名

肥前国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

前田家定

築城年

元亀年間(1570〜1573)

主な改修者

主な城主

前田氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

陣の森城(佐賀県小城市)[4.2km]
須古城(佐賀県杵島郡)[8.0km]
小城城(佐賀県小城市)[8.6km]
梶峰城(佐賀県多久市)[9.0km]
千葉城(佐賀県小城市)[10.3km]
佐賀城(佐賀県佐賀市)[12.0km]
おつぼ山神籠石(佐賀県武雄市)[12.1km]
水ヶ江城(佐賀県佐賀市)[12.2km]
常広城(佐賀県鹿島市)[12.7km]
高木城(佐賀県佐賀市)[13.2km]

佐留志城の口コミ情報

2021年11月13日 龍馬備中守【】
佐留志城



佐賀県の杵島郡の江北町にある【佐留志城】♪別名を馬場城とも呼びます☆
歴史詳細が無い為、口コミに入れておきます♪遺構は無いとなっていますが濠の名残は残してます☆それは戦国時代には身を守る濠として、泰平の世には生活を守る灌漑、または生活用水として活用しました☆
戦国時代には有馬氏に属し丹坂峠の戦いの頃より龍造寺隆信の家臣として前田伊予守家定が領有しました☆

北部には御岳山南麓から南部の六角川下流に至る南北に長い平坦地に立地します♪地名の由来は『芦の広場』を意味するアイヌ語のサルシでこの辺り一帯がアシの群生地だったとする説があります☆

中世には南北朝時代に見える集落名で杵島郡の内になります☆戦国時代には大友親世知行国々散在所領所職注文に諸国の知行地と共に肥前佐留志の名前が残ります☆
ただし、その他には所見が無くて色んな事が不明です☆集落を歩いてみる限りは城郭と言うよりは城館、居館だったのでは無いか?と思われます☆佐留志城は濠に囲われた佐賀平野特有の城館といった印象です♪ 『館屋敷』と呼ばれる場所が下惣区公民館の北側一帯に築かれていました☆
この肥前前田氏の出自もよく分かっていませんが肥前千葉喜胤がこの地を前田志摩守に与えたとも伝わります♪
また戦国時代には堤弥八郎宛て龍造寺隆信判物には『さるし・惣領分』として6箇所、計10反の地が与えられています☆
堤氏は南北朝時代以来、筑後下田城(館)に移り後に龍造寺隆信に属しその後は鍋島家に仕えています☆
また集落内には西林寺ともう一つ寺院が残ります☆もう一つは泰松寺☆泰松寺は前田氏の菩提寺と思われます☆この泰松寺には前田家の五輪塔が残ります☆

2021年10月15日 龍馬備中守【】
丹坂峠古戦場[佐留志城  碑・説明板]



佐賀県の小城市にある【丹坂峠の古戦場】東肥前に侵攻して来た島原の有馬氏VS龍造寺氏の決戦の舞台です☆島原の日野江城を拠点とする有馬義貞は小城郡、佐嘉郡へ侵攻☆佐留志城に陣を張りながら有馬勢は柳鶴の入江へ船体を送り込んできました☆此処でまず有馬勢の先鋒・安徳氏は在地豪族で龍造寺方の徳島氏、鴨打氏の奮戦により退けられ撤退☆前哨戦である柳鶴の戦いで敗北☆次に有馬勢は牛津へ攻め入ろうと砥川大橋口へ侵攻☆北に展開☆も…砥川の江口氏ら在地豪族に阻まれ撃退されちゃいます☆更に北へ…丹坂口で遂に両雄は決戦【丹坂峠の戦い】に発展☆初戦は東肥前の在地豪族で凌いだ龍造寺隆信は千葉胤連、小城衆と共に出陣☆一方有馬義貞、有馬勢は両子山、納所天山に陣城を造り張り多久勢と合流しています☆龍造寺方の持永盛秀ほか小城衆は丹坂口に進み千葉胤連と共に丹坂山から東郷、西郷にかけて陣を張り有馬勢の侵略に備えました☆小城へ侵攻しようとする有馬勢の動きを察した千葉胤連隊は両子山陣所含む納所天山陣所を攻撃するも兵が少なく撃沈☆が、千葉胤連は実はこの間に龍造寺隆信に有馬勢の動きを急報☆本隊・龍造寺隆信は800騎余を丹坂口へ走らせました☆遂に動き出す両者です☆
有馬勢の丹坂口への攻撃は島原純茂を大将として攻め入り☆数に勝る有馬勢は戦を有利に展開するも龍造寺氏(佐嘉衆)千葉氏(小城衆)がこの線を死守☆更に牛尾山(牛津丘陵)有馬方の別当が裏切り有馬勢は総崩れになり潰走☆龍造寺隆信は勢いのまま、肥前別府をへて大村氏を追い相浦氏の案内で下多久の陣内城を攻撃☆城主・多久宗利は出陣中の為に陣内城は落城☆多久氏は白石の平井氏を頼り落ち延びました☆本隊・有馬義貞は白石、武雄へ後退☆反撃せんと策しますが…追う龍造寺隆信は反撃の刃を察していました☆次々に陣に火をかけ焼き討ちに有馬義貞は戦意を喪失して島原へと退却☆西肥前の諸将達も陣払い…コレが『丹坂峠の戦い』の一部始終です☆龍造寺隆信にボコボコにされ東肥前の在地豪族達にもやられた有馬家☆西肥前の諸将達は有馬家から反逆☆平戸、佐世保、武雄、諫早が離反し反目に回っていきました☆唯一、忠誠を誓った白石、須古城の平井統治は一転して敵地に孤立する形に☆難攻不落の須古城も龍造寺隆信の手に落ちるのも時間の問題…一時は肥前制覇に最も近かった有馬家☆この戦により西肥前の覇権を失った訳なのです☆

2021年10月14日 龍馬備中守【】
納所天山陣所[佐留志城  周辺城郭]



佐賀県の多久市の【納所天山陣所】♪この城砦の詳細は不明☆東肥前を狙った『丹坂峠の戦い』時の有馬勢の陣所と思われます☆有馬義貞の本陣の両子山陣所から北に1キロも無い場所の天山に納所天山陣所は構えられています☆同山系に立地し両子山陣所が標高366mに対し、ここ納所天山陣所は標高が264mと大きく比高を落とします☆天山は両子山と違い周囲はなだらかな緩斜面地形でハッキリとした切岸などは確認出来ません☆ただ兵を溜めるには打って付けの削平地が残ります☆お送りしている『丹坂峠の戦い』☆今回は前哨戦は柳鶴の戦い☆肥前の牛津川より西側は島原・有馬氏が支配していたエリアです☆西肥前の諸将は皆有馬氏に従って出陣☆普通に考えたら有馬氏に軍配が上がる☆それ位に有馬家は名門で西肥前において力を持ってました☆有馬家は20万石の石高を持ち兵5万余騎を誇りました☆往時の当主・有馬義貞はキリスト教の教えと、その後ろにあるポルトガルとの貿易(南蛮貿易)に利点を感じキリスト教に改宗☆大きな利を築き上げました☆ドン・アンドレと言う洗礼名を持つキリシタン大名となります☆丹坂峠の戦いの前哨戦である柳鶴の戦い☆肥前の雄である有馬勢がこの初戦でまさかの伏兵に翻弄され一時退却を余儀なくされるなんて…有馬勢の安徳氏は先鋒隊として先に堤尾岳に陣を張り前乗り☆砥川の馬渡俊光は当初・有馬方でしたが龍造寺方と内通していて佐留志城の前田氏、鴨打城の鴨打氏、肥前徳島城の徳島氏と謀議を重ね策を練っていました☆この馬渡氏は一族の使者を送り『徳島氏が降参する』と有馬氏を騙し芦刈への派兵を促します☆有馬氏にとって芦刈を叩く事が佐嘉、小城郡への侵攻の足掛かりとなる重要な場所☆牛津川の線を守る徳島氏を組み入れる事が出来るならば…芦刈攻略は容易でありました☆芦刈を拠点に出来るならば…マンマと策にのる有馬勢の先鋒・安徳氏は堤尾岳から柳鶴に侵攻☆忠実な龍造寺家臣である鴨打胤忠の鴨打城を包囲しました☆牛尾丘陵から上がった狼煙を合図に、徳島氏、更に龍造寺方に内通している馬渡氏は突如、安徳氏に襲い掛かり鴨打勢も出撃してきました☆此れにより有馬勢は総崩れ☆有馬方が在地豪族らに惨敗した事で有馬方からは離反者が続出する事態になりました☆龍造寺隆信の与党、鴨打胤忠、徳島長房、持永盛秀♪この在地豪族達が地の利を活かして奮戦活躍♪局地初戦の柳鶴の話でした♪

2021年10月13日 龍馬備中守【】
両子山陣所[佐留志城  周辺城郭]



佐賀県の多久市にある【両子山陣所】♪この両子山陣所は『丹坂峠の戦い』の際に小城郡、佐嘉郡に侵攻を図ろうとした有馬氏の本陣となります♪両子山はこの付近では南側に1番突き出た山系で加えて、その高さも群を抜いています(標高366m)☆山頂からは東側に牛尾丘陵(牛尾ノ城)を眼下に佐賀平野が広がり、遥かに筑後の山脈、南に有明海を隔てて大牟田辺りまで眺望する事が出来ます☆南から西側にかけては、杵島山、多良山系、武雄地方の山々が眺望出来る抜群の場所に立地しています☆

この両子山は2つのピークを持つ特徴的な山になっています♪山麓の牛津川から見ると両子山(ふたごやま)の由来をうかがわせる2つの峰が南北に並ぶ姿が望めます♪北側に立地する山のピークこそが有馬氏が本陣を張った両子山陣所です☆

肥前の両雄・龍造寺氏VS有馬氏が争ったこのエリア☆有馬仙岩(晴純)は国主の嫡男、有馬義貞に(肥前有馬氏12代目当主)肥前小城郡へ攻め入る様にと兵をつけ、藤津郡(肥前鹿島市)に送り一気に小城郡、佐嘉郡へ侵攻しよう企てました☆九州治乱記には大友宗麟が有馬氏を誘い龍造寺氏を挟撃しようとしたという事で描かれています☆

牛津川以西は往時、有馬氏が支配していたエリアは西肥前の諸将(大村氏、西郷氏、島原氏、松浦氏、多久氏、平井氏、後藤氏etc)は、みな有馬氏に従って出陣☆隠居した筈の有馬仙岩は好機あらばと虎視眈々と小城郡、佐嘉郡を狙っていた訳なのであります☆
有馬義貞はこの山より西肥前への領域拡大の野望を抱いたのでしょう☆

両子山ピークにある主郭を中心に東側に数段の段郭を持ちます☆郭間には横堀を二重に入れ込みます♪横堀は竪堀となり山裾に落ちていきますが、この横堀は浅め☆急遽造り込んだものといった印象です☆東向きに防御を強化している事が分かります☆(正に佐嘉、小城方面)主郭下の段には張り出した郭があってこの側面に綺麗に石積みが残っておりました☆

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