城野山城
城野山城([佐留志城 周辺城郭])
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城野山城の口コミ情報
2023年12月18日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県の杵島郡にある【城野山城】♪北方は辨天山♪太平山から西に伸びる山塊南側の麓部でその山容は南に突き出す様な形で、城郭は存在しました♪西側は新堤があります♪現在は県道が通り北へ行くと多久に抜ける場所となっていて、鈴山峠があり、古くから多久へ抜ける街道としての役割を匂わせます♪
詳細不明ですが、城主は於保氏が伝えられますが、色々調べたのですが、たどり着けませんでした☆不明な点が多すぎて。。
何故、於保氏なのか?分かりません☆
於保氏と云えば、古くは高木城の高木氏の一族であり、嘉瀬川の西、於保集落にその城郭を構えています♪古くから肥前に根を張り勢力を構えた於保氏♪元弘3年(1333年)には、九州探題・北条英時を博多で攻めたり、永正2年(1505年)には横辺田(現、江北町小田付近)の戦いでは、於保馬太夫資宗は戦死したりと、確認が取れます♪その他も記述には出てきますが、衰退したり、盛り返したりしています♪特出すべきは於保備前守胤宗は妻が龍造寺家兼の娘であるという姻戚関係から天文14年(1545年)龍造寺家兼が多久城を攻めた時、これに参戦し志久峠の戦で討死したが、その軍功によって於保家もまた再興しています♪何が言いたいかと言うと、於保城の場所から西側の多久付近で活躍していると言う事です♪もしかしたら、その時に与えられた地なのかもしれません♪
城野山城は現、地名は山口(山口にも花祭の字は残っています☆)ではありますが、古くは鈴山峠北方にある花祭村の一部だった様です♪花祭の場所は現在考える、花祭よりももっと広大だったと思われます♪
この花祭を調べてみました♪
戦国時代には領主・花祭一族の山城があったとされています♪その後は多久領の一部となり鈴山峠付近には見張り所が置かれました♪規模の大きい往時の花祭♪山間部が張り出し、眼下には長崎街道、多久へ向かう要衝地である以上、この城野山城は、この見張り所としてという事も十二分に考えられる♪
花祭氏か、はたまた於保氏の城郭だったのか?今は知る余地もありません…。。
今一度、調べてみようと思いました☆
因みに、門前と云う地名が残っていて、コレは城郭に由来するものかと考えられます♪