納所天山陣所
納所天山陣所([佐留志城 周辺城郭])
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納所天山陣所の口コミ情報
2021年10月14日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県の多久市の【納所天山陣所】♪この城砦の詳細は不明☆東肥前を狙った『丹坂峠の戦い』時の有馬勢の陣所と思われます☆有馬義貞の本陣の両子山陣所から北に1キロも無い場所の天山に納所天山陣所は構えられています☆同山系に立地し両子山陣所が標高366mに対し、ここ納所天山陣所は標高が264mと大きく比高を落とします☆天山は両子山と違い周囲はなだらかな緩斜面地形でハッキリとした切岸などは確認出来ません☆ただ兵を溜めるには打って付けの削平地が残ります☆お送りしている『丹坂峠の戦い』☆今回は前哨戦は柳鶴の戦い☆肥前の牛津川より西側は島原・有馬氏が支配していたエリアです☆西肥前の諸将は皆有馬氏に従って出陣☆普通に考えたら有馬氏に軍配が上がる☆それ位に有馬家は名門で西肥前において力を持ってました☆有馬家は20万石の石高を持ち兵5万余騎を誇りました☆往時の当主・有馬義貞はキリスト教の教えと、その後ろにあるポルトガルとの貿易(南蛮貿易)に利点を感じキリスト教に改宗☆大きな利を築き上げました☆ドン・アンドレと言う洗礼名を持つキリシタン大名となります☆丹坂峠の戦いの前哨戦である柳鶴の戦い☆肥前の雄である有馬勢がこの初戦でまさかの伏兵に翻弄され一時退却を余儀なくされるなんて…有馬勢の安徳氏は先鋒隊として先に堤尾岳に陣を張り前乗り☆砥川の馬渡俊光は当初・有馬方でしたが龍造寺方と内通していて佐留志城の前田氏、鴨打城の鴨打氏、肥前徳島城の徳島氏と謀議を重ね策を練っていました☆この馬渡氏は一族の使者を送り『徳島氏が降参する』と有馬氏を騙し芦刈への派兵を促します☆有馬氏にとって芦刈を叩く事が佐嘉、小城郡への侵攻の足掛かりとなる重要な場所☆牛津川の線を守る徳島氏を組み入れる事が出来るならば…芦刈攻略は容易でありました☆芦刈を拠点に出来るならば…マンマと策にのる有馬勢の先鋒・安徳氏は堤尾岳から柳鶴に侵攻☆忠実な龍造寺家臣である鴨打胤忠の鴨打城を包囲しました☆牛尾丘陵から上がった狼煙を合図に、徳島氏、更に龍造寺方に内通している馬渡氏は突如、安徳氏に襲い掛かり鴨打勢も出撃してきました☆此れにより有馬勢は総崩れ☆有馬方が在地豪族らに惨敗した事で有馬方からは離反者が続出する事態になりました☆龍造寺隆信の与党、鴨打胤忠、徳島長房、持永盛秀♪この在地豪族達が地の利を活かして奮戦活躍♪局地初戦の柳鶴の話でした♪