川越城

川越城([佐留志城  周辺城郭])

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川越城の口コミ情報

2024年05月07日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


佐賀県の小城市の上砥川にある【川越城】佐賀には珍しく雪が降りました♪この時期に雪はミスマッチかもですが、引き続き行った流れのまま口コミします♪

小城市と杵島郡の境目に立地する別名、広厳城は北西方には三宝山、大平山を配し東方には多久川が流れ、南は佐賀平野に接します♪この山々の南東部に突き出した、標高22m程の先端に城郭は立地します♪南面はコンクリートで固められていますが、見るからに山斜面は鋭いです♪

建武4年(1337年)田中行祐申状(実相院文書)には『小城郡砥河内得久名田地壱町五段余、屋敷畠地』は、行祐重代相伝知行と残ります♪
更に康永2年(1343年)千葉胤朝畠地宛行状には『小城郡砥河保内東方楽仏苑畠地』を田中彦七入道に半分は御恩として、半分は御手所とし
て宛行うとあります♪砥河は、砥川の事です♪

応永11年(1404年)田中孝季申状には『肥前国小城郡之内戸河田中孫八季秀申、由緒
分…以下続く…下賜御判、可備後代金鏡』と残り戸河として出て来ます♪
時は鎌倉時代から室町時代初頭にかけて、砥川には知行主として田中氏がいた事が知られています♪

小城は古くから肥前千葉氏の領有するエリアとなる為、砥川の田中氏は千葉氏の家臣団の1人だったのでしょうね♪

但し『九州治乱記』には千葉胤繁が鮎川氏、桜井氏らの家人を砥川に配置して東西の敵に備えたとして記載があります♪
特に天文年間以降は、このエリアは、肥前千葉氏VS有馬氏の対決の場になっています♪
現在、愛宕神社が主郭の場所となり、北向きに段郭が数段続きます♪西側に虎口状の開きを見せます♪南側には長崎街道が走り、街道監視の城郭でしょう♪城域を考えても、砦感が強いです♪

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