古湯城(ふるゆじょう)

古湯城の基本情報

通称・別名

所在地

佐賀県佐賀市富士町大字古湯字五本松(古湯城山公園)

旧国名

肥前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

原隼人

築城年

延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336)

主な改修者

主な城主

原隼人、古湯信濃守

廃城年

遺構

曲輪、石垣、物見台、堀切、竪堀

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

千葉城(佐賀県小城市)[8.1km]
小城城(佐賀県小城市)[9.6km]
三瀬城(佐賀県佐賀市)[12.5km]
帯隈山神籠石(佐賀県佐賀市)[13.5km]
高木城(佐賀県佐賀市)[13.8km]
雷山神籠石(福岡県糸島市)[13.9km]
二丈岳城(福岡県糸島市)[14.2km]
勢福寺城(佐賀県神埼市)[14.7km]
陣の森城(佐賀県小城市)[15.4km]
鬼ヶ城(佐賀県唐津市)[15.5km]

古湯城の口コミ情報

2021年04月29日 しんこう
谷田城[古湯城  周辺城郭]



【指定史跡】なし
【遺構】曲輪、堀切、竪堀
【歴史】山内二十六ヶ山の総領・神代勝利が三瀬城とともに本拠としていた山城。三瀬氏の勧めに応じて三瀬城を居城とした後、小副川の谷田にこの谷田城を築いたらしい。南麓の現在福祉施設のある場所に館があったようで、この館の詰城として、谷田城が築城されたようです。
【感想】中央の竪堀を中心に東西にハの字に曲輪を展開しています。この竪堀には現在道路が通っていて一部埋められているようです。東側の曲輪は藪化していて奥まで入れず。西側は削平された曲輪に不明瞭な竪堀が二、三本あるくらい。
【案内】城の北側に林道が通じており、この林道から更にカーブミラーの場所から荒れた林道に入ると城を東西に分ける竪堀に到着します。
【写真】①③⑤城の東西を分ける竪堀②西曲輪の竪堀のひとつ④西曲輪の様子⑥城域に入る林道入口

2021年04月25日 しんこう
舞岳城[古湯城  周辺城郭]



【指定史跡】なし
【遺構】曲輪、虎口、石垣、土塁、堀切
【歴史】龍造寺隆信のライバル、山内二十六ヶ山の総領・神代勝利ゆかりのお城です。神代氏の重要な山内七山のひとつ小副川山の城とみられているようです。史書には春日山城攻防戦の際に神代勝利が本陣にしたとあり、龍造寺氏の侵攻にあわせて整備されたのではないかと考えられているようです。(佐賀県の中近世城館 第2集: 各説編1(三養基・神埼・佐賀地区) (佐賀県教育委員会)より)
【感想】舞岳城の北側に木山城、東側に谷田城が配され、更に北側奥にある三瀬城や畑瀬城へ向かうルートに睨みを利かす重要な場所に築城されているようです。舞岳城は東西70m、南北26mほどの楕円形の曲輪を高さ1mから2.5mの土塁でぐるりと囲っています。この土塁の規模は三瀬城には及ばないものの相当の土木量で重要な城であることが伺えます。面白いことに舞岳城のすぐ北側にある木山城は目立つ土塁は無く総石垣作りであり、近くにありながら対照的な作りをしています。また堀切・土橋が随所にあり見どころの一つです。
【案内】木山城同様に山深い場所にありますが、近くに林道が通じているので多少ガマンすれば登城することができます。城の北西あたりまで林道が通じているので、城の北西に延びている尾根に沿って進むと城に到着できます。ただ、この尾根に乗るまでの道を見つけきれず倒木など荒れた斜面を登り尾根に取り付きました。
【写真】
①主郭南の高土塁②主郭東の低めの土塁③主郭北西の虎口④主郭東の低めの土塁

2021年04月24日 しんこう
木山城[古湯城  周辺城郭]

【指定史跡】なし
【遺構】曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀
【歴史】龍造寺隆信のライバル、山内二十六ヶ山の総領・神代勝利ゆかりのお城です。明確に本城を示す文献は無いようですが、永禄5年(1562年)に龍造寺隆信との和議が成された後、勝利の嫡男長良に家督を譲り畑瀬城に隠居する前後に築城されたものと考えられているようです。
【感想】大野原集落の南西にある木山の山頂にあり、概ね20m×23mの主郭に加えて東側に2,3の段曲輪が付属する小規模なお城です。見どころは主郭塁面に残る石積で、現状崩落著しいですが往時は総石垣作りだったようです。また、主郭西下には自然地形に手を入れたと思われる大堀切が残されています。大堀切周辺には多くの竪堀がみられます。
【案内】城の南側に林道が通じており、林道からの道は無く林道から登れそうな谷部を見つけて登りました。途中テープが巻かれている木々があったので植林や間伐などを行うために登るルートがあるのかもしれません。城周辺までは草木で足元が悪く難儀したのですが、往時総石垣作りであった主郭遺構を見たい方は行かれてはいかがでしょうか。また、雑木林で視界の悪い低山はけっこう迷うのでGPSを装備した地図をお勧めします。
【写真】①主郭南東の石垣②主郭北東の石垣③主郭南東の石垣④主郭西下の堀切⑤主郭西側の斜面に残された大岩⑥主郭西の虎口?

2021年03月13日 龍馬太閤【備中の麒麟】
大野代官所[古湯城  周辺城郭]



佐賀県の佐賀市にある大野代官所☆福岡藩や唐津藩に通じる交通の要衝地で神水川流域左岸に位置してます☆
築城年は不明です☆国内情勢が不安定になっていた事により設置されたのでしょう☆
江戸時代は山内郷に属していました♪佐賀藩領でしたが鍋島元茂が小城支藩の初代藩主となった際に佐賀藩より分知され小城藩領と独立して行きます♪

石垣は石材を斜めに落とし配置する「谷落とし積み」を意識した積み方で築かれていて高石垣の勾配は、上部の石材になるほど徐々に急になっていきます☆石垣と石段のみが残ってます☆

2021年03月12日 龍馬太閤【備中の麒麟】
三反田代官所[古湯城  周辺城郭]



佐賀県の佐賀市にある三反田代官所☆三反田は佐賀と筑前(福岡)、佐賀、浜崎に至る交通の要衝地となって江戸時代の往時から人家が立ち並び、宿場として山内では最も繁栄していました☆ここに三反田代官所が置かれ高札場もありました☆

戦国時代にはここは神代勝利の支配地でした☆佐嘉の龍造寺隆信と何度も合戦☆結果的に龍造寺領になった場所です☆龍造寺隆信、鍋島直茂、鍋島勝茂と藩主が代っても相変わらず山内領民は神代を慕って佐賀藩に対し従順でない所があった様で佐賀藩庁では山内をうまく支配できる人物の派遣が先決だと考えます☆往時21歳だった鍋島舎人(常貞)に決定して行きます☆鍋島舎人(常貞)は松瀬に屋敷を構え山内代官として善政を行ない手腕を発揮していきます☆山内の郷民は彼を慕って主人の様に仕え佐賀藩へも従っていく様になりました♪

現在は石積み石垣がしっかり残ってます☆


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