三瀬城(みつせじょう)
三瀬城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 佐賀県佐賀市三瀬村大字三瀬字宿
旧国名
- 肥前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 大江氏
築城年
- 文永元年(1264)
主な改修者
- -
主な城主
- 三瀬(大江)氏、神代氏
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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三瀬城の解説文
[引用元:Wikipedia「三瀬城」の項目]三瀬城(みつせじょう)は佐賀県に存在した日本の城(山城)。
【概要】
神埼市の背振山地中央部にある標高560mの城山の山頂に位置する。佐賀平野を望み、山麓は博多や唐津、佐賀に通ずる要衝地だった。
享禄年間に、有事に備えて三瀬宗利により築かれた。享禄年間に神代勝利を迎えると、やがて勝利は背振山地一帯を統一した。勝利の死後、息子の神代長良は龍造寺氏に降伏し、やがて鍋島氏の重臣となった。鍋島直茂は神代党の結束を避けるため慶長年間に神代家良を芦刈に転封させ、神代氏は当城を離れた。
【参考文献】
・角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(43.熊本県)』、角川書店、1987年[続きを見る]
三瀬城の口コミ情報
2019年04月25日 笑門来猫
三瀬城
主郭虎口の土塁。主郭をぐるっと囲む土塁は、今でもかなり高く迫力あり。
2019年04月24日 笑門来猫
三瀬城
竪堀みたいな角度キツめの登城路を延々と登る。滑りやすいスニーカーで登ったせいで、ふくらはぎパンパン!