三瀬城(みつせじょう)
三瀬城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 佐賀県佐賀市三瀬村大字三瀬字宿
旧国名
- 肥前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 大江氏
築城年
- 文永元年(1264)
主な改修者
- -
主な城主
- 三瀬(大江)氏、神代氏
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
曲渕城(福岡県福岡市)[4.1km]
雷山神籠石(福岡県糸島市)[7.4km]
荒平城(福岡県福岡市)[8.2km]
飯盛山城(福岡県福岡市)[8.4km]
高祖城(福岡県糸島市)[9.6km]
怡土城(福岡県糸島市)[10.7km]
小田部城(福岡県福岡市)[11.8km]
一ノ岳城(福岡県那珂川市)[12.1km]
古湯城(佐賀県佐賀市)[12.5km]
岩門城(福岡県那珂川市)[13.7km]
三瀬城の解説文
[引用元:Wikipedia「三瀬城」の項目]
三瀬城(みつせじょう)は、佐賀県佐賀市三瀬村にあった日本の城(山城)。
概要
背振山地中央部にある標高560mの城山の山頂に位置する。佐賀平野を望み、山麓は博多や唐津、佐賀に通ずる要衝地だった。
享禄年間に、有事に備えて三瀬宗利により築かれた。享禄年間に神代勝利を迎えると、やがて勝利は背振山地一帯を統一した。勝利の死後、息子の神代長良は龍造寺氏に降伏し、やがて鍋島氏の重臣となった。鍋島直茂は神代党の結束を避けるため慶長年間に神代家良を芦刈に転封させ、神代氏は当城を離れた。
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(43.熊本県)』、角川書店、1987年
[続きを見る]
三瀬城の口コミ情報
2021年05月30日 ヒデタカ筑前守
三瀬城
三瀬城は石垣や土塁の規模が大きく、中世と近代の遺構を合わせもつ城跡です。山城好きにはオススメですが、険しいのできちんとした装備で登城されてください。
2021年04月07日 刻印爺弾正忠抱杏葉
三瀬城
国道263号線から林道 三瀬-脊振線に入ると少し走れば三瀬城来訪者用のPあります。ここから登城口までは結構あります。登城口から登り始めると沢を横目に石畳の道です。残り600m付近から倒木が数カ所あり、傾斜もきつく、それなりの装備が必要です。
堀切や土塁がはっきり残っています。肥前と筑前の国境にある最前線の城です。
三瀬城の周辺スポット情報
駐車場(駐車場)