飯盛山城(いいもりやまじょう)

飯盛山城の基本情報

通称・別名

飯盛城

所在地

福岡県福岡市西区飯盛

旧国名

筑前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

松浦党

築城年

戦国時代

主な改修者

主な城主

松浦党、原田氏

廃城年

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

高祖城(福岡県糸島市)[3.0km]
怡土城(福岡県糸島市)[3.9km]
小田部城(福岡県福岡市)[4.3km]
曲渕城(福岡県福岡市)[4.4km]
元寇防塁(福岡県福岡市)[5.5km]
荒平城(福岡県福岡市)[5.7km]
姪浜城(福岡県福岡市)[6.3km]
三瀬城(佐賀県佐賀市)[8.4km]
雷山神籠石(福岡県糸島市)[8.5km]
北浦城(福岡県福岡市)[8.9km]

飯盛山城の解説文

飯盛山城は鎌倉時代からこの地を支配した原田氏が築いたとされる。

その名の通り飯盛山の山頂に築かれた城で、隣り合った高祖山にある高祖城の支城として機能していたと推測される。

明確な遺構はないが、特に開発などは行われていないため、本丸や曲輪の跡らしきものを確認することが出来る。

飯盛山城の口コミ情報

2023年12月30日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
都地城[飯盛山城  周辺城郭]



福岡県の福岡市西区にある【都地城】♪福岡平野の西部を流れる室見川の中流左岸に立地します♪現在は、金武集落の中に城郭は存在しました♪

この都地城ですが、細川五位尉蔵人光行によって築かれた城郭と伝わります♪天文元年(1532年)足利幕府(足利義輝)の命により、九州鎮撫の為に派遣され、ここ金武に土着しています♪
この頃に、細川若狭守と称している事から、城郭が築かれたのも恐らく、この時期かと考えられます♪細川若狭守(光行)は永禄元年(1558年)荒平城の城主・小田部紹叱と戦闘していて、討死。。。
荒平城は城めぐにも登録されている城郭です♪小田部氏の城郭で、都地城とは室見川を挟み対岸南東側の標高394mの荒平山山頂に立地しています♪

細川若狭守(光行)は周防国の大内氏に属していました♪そして早良一帯に勢力を広げた大友氏配下の荒平城主・小田部氏と戦ったと云う訳です☆

細川若狭守(光行)の討死以降は子の細川左近助は、肥前国・龍造寺隆信に従っています♪天正7年(1579年)龍造寺軍5000余兵が荒平城を攻めていますが、この時、細川左近助は小田部氏を討ち、父である細川若狭守(光行)の仇を打ったと云う形になります。

細川氏はその後は名島に城を構えた豊臣家の五大老・小早川隆景に仕えていて、代官として所領を安堵されました♪現在も子孫の方は都地城址に居住されています♪

この場所は、佐賀と福岡城下を結ぶ三瀬街道の通る場所でもあり、中世、更には近世と重要視されています♪近世には筑前21宿の1つが置かれました♪

2023年12月24日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
飯盛山城



福岡県の福岡市西区にある【筑前・飯盛山城】♪城めぐに登録のある、城郭ではありますが、歴史詳細が余り無かったので記します♪

標高382mの飯盛山の山上に城郭は存在します♪
中世の山城として機能したこの城郭は、高祖山城の城主・原田了栄の端城となります♪
筑前と肥前を結ぶ道筋の怡土、早良の両エリアに接する境目の場所に立地します♪
飯盛神社の横から頂上まで登城路が続きます♪一部、鎖場がある為、シッカリ万全に登城されてください♪
飯盛山は、高祖山との間を深い谷で隔絶された、独立した山塊となります♪この山自体、急傾斜地となっていて要害感を強めます♪地盤自体が、岩盤色の強い山容なのでしょう♪

築城年、築城主ともに不明ではありますが、南北朝時代に、九州探題の一色範氏や松浦党が拠った城となっています♪
正平16年(1361年)征西大将軍・懐良親王は、新田氏、菊池氏の軍勢を率い博多を攻めています♪この飯盛山城には、松浦党3000余兵が籠っていたとされ、菊池肥後守武光の家臣・城越前守が1000余騎で攻め寄せています☆

城郭のある飯盛山は険峻であり、城兵の数も多い為、城を攻め落とす事は不可能と見た城越前守は、計略を用いて城中に内通するものが、多いと告させます☆
コレを聞いた籠城する城兵は、味方は信用出来ない……として、飯盛山城を抜け出す者が続出した様です☆
コレにより城越前守は飯盛山城を落城させたと伝わります☆

その後、戦国時代に入ると高祖山城、怡土郡の原田了栄の持城となり、早良郡に勢力を伸ばしていきました☆

そもそも飯盛山自体が、古代から中世にかけて、早良一円の信仰の対象山としてあった様で、『魏志倭人伝』には見えない、早良国として、クローズアップもされています♪
確かに山中には磐座があり、早良自体、古墳や条里の名前も見えます♪
脊振山系から流れる、室見川が形成した沖積平野(盆地)は、弥生時代以降の埋蔵物が豊富に出土しています♪とはいえ、その沖積平野(盆地)は大きくは無く、山間に挟まれた盆地の印象ですが、室見川は玄界灘へ流れ出し、北に抜けると姪浜や博多と広大な平地が広がります♪

そんな、信仰対象であったであろう飯盛山の麓には、飯盛神社があり現在もその信仰は絶えません♪川幅や、その流れ♪高低差、地形などは、往時と変わっている部分はあるにせよ、山ってのは、昔から大きく変わりません♪コレを考えていくと…また違った視点から、城郭を考察出来ますね♪

2023年12月18日 ヴィヴィ
飯盛山城

流鏑馬神事で有名な飯盛神社、頂上にその上宮跡がある飯盛山へ、ロープ、鎖が設置されていますが、頂上からの油山の景色もなかなかいいです。

2017年03月07日 カーネル
飯盛山城

福岡市営地下鉄橋本駅をでて東に向かい、最初の信号『橋本駅入口』で右折し、県道560号に沿って、また右折すると歩道がなくなります。ご注意を

右前方に周囲より高いこんもりした山があり、あれじゃありませんようにと祈りながら歩きますが、山影は近づくばかり

35分で東麓の飯盛神社へ
手前の大通りには、西鉄バスの飯盛神社前バス停がありました

下宮に参拝したら、舗装路の坂道を登り10分で中宮着

ここまで車でこれます。ここから道は3本ありますが、境内の奥に続く真ん中の道を登りました
きれいな階段を登ると山道に変わり、百貫岩を越えると車道になります。その先の道標に従い、山道の階段を下って登り返して登り続ければ山頂の上宮です。中宮から30分
山頂は天守台のような盛り土があり、周囲に2重の腰曲輪らしき形跡も

駅に戻って往復2時間半ちょい

飯盛山城の周辺スポット情報

 都地城(周辺城郭)

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