都地城
都地城([飯盛山城 周辺城郭])
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都地城の口コミ情報
2023年12月30日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
福岡県の福岡市西区にある【都地城】♪福岡平野の西部を流れる室見川の中流左岸に立地します♪現在は、金武集落の中に城郭は存在しました♪
この都地城ですが、細川五位尉蔵人光行によって築かれた城郭と伝わります♪天文元年(1532年)足利幕府(足利義輝)の命により、九州鎮撫の為に派遣され、ここ金武に土着しています♪
この頃に、細川若狭守と称している事から、城郭が築かれたのも恐らく、この時期かと考えられます♪細川若狭守(光行)は永禄元年(1558年)荒平城の城主・小田部紹叱と戦闘していて、討死。。。
荒平城は城めぐにも登録されている城郭です♪小田部氏の城郭で、都地城とは室見川を挟み対岸南東側の標高394mの荒平山山頂に立地しています♪
細川若狭守(光行)は周防国の大内氏に属していました♪そして早良一帯に勢力を広げた大友氏配下の荒平城主・小田部氏と戦ったと云う訳です☆
細川若狭守(光行)の討死以降は子の細川左近助は、肥前国・龍造寺隆信に従っています♪天正7年(1579年)龍造寺軍5000余兵が荒平城を攻めていますが、この時、細川左近助は小田部氏を討ち、父である細川若狭守(光行)の仇を打ったと云う形になります。
細川氏はその後は名島に城を構えた豊臣家の五大老・小早川隆景に仕えていて、代官として所領を安堵されました♪現在も子孫の方は都地城址に居住されています♪
この場所は、佐賀と福岡城下を結ぶ三瀬街道の通る場所でもあり、中世、更には近世と重要視されています♪近世には筑前21宿の1つが置かれました♪