安楽平城(あらひらじょう)

安楽平城の基本情報

通称・別名

荒平城

所在地

福岡県福岡市早良区大字東入部

旧国名

筑前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

飯田幸松丸

築城年

寛正3年(1462)

主な改修者

主な城主

飯田幸松丸、小田部鎮通(大友氏家臣)

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

曲渕城(福岡県福岡市)[5.0km]
飯盛山城(福岡県福岡市)[5.7km]
小田部城(福岡県福岡市)[5.7km]
岩門城(福岡県那珂川市)[7.7km]
三瀬城(佐賀県佐賀市)[8.2km]
姪浜城(福岡県福岡市)[8.2km]
古野城(福岡県福岡市)[8.2km]
福岡城(福岡県福岡市)[8.6km]
高祖城(福岡県糸島市)[8.7km]
元寇防塁(福岡県福岡市)[9.2km]

安楽平城の解説文

※この城郭は2026年4月6日に名称が変更となりました。

荒平城は、豊後の戦国大名・大友氏の家臣であった小田部鎮通が居城とした城郭である。

荒平山の山頂に築かれた山城で、本丸・二の丸・出丸などを備えていた。

現在、堀切や石垣などの遺構を確認することが出来る。

安楽平城の口コミ情報

2026年04月15日 ᴿᴱᴰ副将軍
安楽平城



筑前大友五城のひとつに数えられる大友氏の筑前支配の要衝🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

安楽平城(あらひらじょう)と読みます

1462年に飯田幸松丸により築かれたと云われます。
飯田幸松丸は大内氏家臣であり、筑前を守護化すると早良郡代として入城したとされます。
飯田新蔵重頼、遠田岩見守兼常、神代与三郎兵衛、大村日向守重継、大村讃岐守興景、飯田石見守興秀、木上筑前守、小田部鎮隆が城督として続きました。
1557年に大内氏が滅亡すると、大友氏が筑前に進出。小田部鎮隆は大友氏に従い、鷲ケ岳城の大津留早雲から次男の鎮元を養子に迎えます。
1579年、龍造寺隆信が早良郡へ侵攻すると、小田部鎮元は安楽平城に籠城。大津留宗雲や立花道雪は援軍を送るも落城し、小田部鎮元は自刃あるいは討死したとされます。
その後、安楽平城は龍造寺氏に属した勝尾城の筑紫広門の支配となり、筑紫恒門を入城させます。1586年、島津氏が筑前に侵攻し勝尾城は落城し筑紫氏は降伏。安楽平城は島津氏の支配となります。その後の安楽平城の動静は定かではありませんが、島津氏が立花山城を包囲した際には、立花宗茂に降伏条件として安楽平城を与える旨の記録が残るため、早良郡支配の重要拠点として続いていた様です。

見所
標高394mの荒平山頂部に築かれており、山頂の本丸から北東尾根の三の丸の曲輪群と、南西尾根の二の丸の曲輪群で主に構成されています。
本丸には案内板と城跡碑が立ち、北東尾根には三の丸と合わせて四段の曲輪群が連なります。東端は石積みが伴う大堀切で遮断され、南側面にも石積みが残ります。
本丸と二の丸の間は堀切で遮断され、南西側の鞍部は石塁を敷設した曲輪に繋がります。二の丸は西側に土塁が付き、北西尾根端部は連続堀切があります。

行き方は、南麓の「城ノ原」から林道が付いており、登城口まで行くことができます。比高は約200mです。
途中に「荒平城主小田部鎮元自刃之地」の石碑と供養塔があります。

2020年10月04日 徳にぃ図書頭銀座のすずめ
安楽平城



車なら。
荒平山の南側の56号線(福岡早良大野城線)の脇山から住宅街を抜けて、安楽平神社の横を通る道をひたすら登ります。ゆっくり走らないと車の底を傷めます。
登山口の手前に5台ほどの駐車スペースがあります。
登山道は、台風や大雨の影響で倒木などが至るところに。迷うような所はありませんがかなり急です。トレッキングシューズは勿論、所謂登山と認識して登って下さい。

本丸からの眺望は南側だけですが、二の丸周辺は見ごたえを感じました。


安楽平城の周辺スポット情報

 曲輪Ⅰ-4の南側石垣(遺構・復元物)

 安楽平城(周辺城郭)

 莵道岳城(周辺城郭)

 重松若狭守宅(周辺城郭)

 茶臼城(周辺城郭)

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