曲渕城(まがりぶちじょう)
曲渕城の基本情報
通称・別名
- 曲淵城
所在地
- 福岡県福岡市早良区曲渕
旧国名
- 筑前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 曲淵氏助
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 曲淵氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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曲渕城の解説文
曲渕城の口コミ情報
2025年12月05日 ᴿᴱᴰ副将軍
曲渕城
鍛冶屋から成り上がったとされる曲淵河内守の居城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。元々は背振山東門寺の寺領であり、その後に大内氏の支配下となったとされます。
元亀・天正年間(1570年~1592年)には、曲淵河内守氏助(房助)と信助の父子が城主であったと伝わります。
曲淵氏は鍬作りの鍛冶屋でしたが武将に成り上がったとされ、曲淵城主となり曲淵河内守と名を改め、高祖山城の原田氏に仕えたとされます。
1579年に龍造寺隆信が侵攻すると原田氏は龍造寺氏に従い、曲淵河内守は龍造寺氏の軍勢を先導し安楽平城の小田部鎮元を攻め寄せたと云われます。
1587年の豊臣秀吉による九州征伐において高祖山城が落城すると、原田信種は所領没収となり、曲淵河内守は浪人となったとされます。
見所
城山と呼ばれる標高250mの丘陵一帯が城跡とされ、頂部の主郭には現在は山神社が鎮座しています。曲渕ダムの建設により山神社が水没するため移されたことにより改変を大きく受けています。
南背後の尾根は鞍部を利用した堀切で遮断されています。
2023年05月26日 源山城守ポンコ2…仕事中
曲渕城
国道263号線南側の城址に建つ山神社鳥居前に駐車スペースがあります。この鳥居の石額の山神社は、かつての総理広田弘毅の揮毫だそうです。
鳥居前には、案内板や石碑、山神社の元の位置がダム湖になる前に神社遷移と一緒に移されたと思われる手水鉢などがあります。鳥居から曲輪までは、二つの目の鳥居をくぐりながら、急勾配の石段134段を上っていくことになります。
境内は、案内板にあるように東西15間(約27m)×南北20間(約36m)の広さで上段・下段の2段構成、上段に拝殿があり、こまめに清掃されているようでした。ここにも一緒に移ってきたと思われる複数の石造物があります。
拝殿の裏(南側)に土塁が、その土塁の外側(南側)はかなりの高低差がある堀切が残っています。また、この堀切を近くから見上げたい場合は、駐車スペースそばの鳥居前を流れる清流の八丁川沿に歩くと見ることができます。
筑前と肥前の境目の城址の面影を感じられました。
曲渕城口コミ一番槍。










『筑前国続風土記』などによると曲渕河内守はもともと鍛冶屋であったが、戦国の動乱の中で曲渕城主となったとされる。
城跡は現在、曲淵神社となっている。