怡土城(いとじょう)
怡土城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 福岡県糸島市高祖/福岡市西区
旧国名
- 筑前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 吉備真備、佐伯今毛人
築城年
- 神護景雲2年(768)
主な改修者
- -
主な城主
- 不明
廃城年
- 不明
遺構
- 土塁
指定文化財
- 国史跡(怡土城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
高祖城(福岡県糸島市)[1.1km]
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怡土城の解説文
[引用元:Wikipedia「怡土城」の項目]怡土城(いとじょう)とは、8世紀奈良時代、福岡県福岡市と糸島市との境にある高祖山の山腹西斜面に築かれた山城のこと。国の史跡。
【経緯】
続日本紀によると、遣唐使一行に加わること2度留学し、その後大宰府政庁の高官となった吉備真備が、孝謙天皇の命により天平勝宝8年(756年)6月築城に着手。途中吉備が東大寺造営で佐伯今毛人と交代し神護景雲2年(768年)2月、完成されたとされる。
当時唐では、玄宗皇帝に対する「安禄山の乱」が勃発し、朝鮮半島では新羅が日本の国使との会見を拒否するなど、対外的な緊張が高まり九州の防備が急務となっていた。
【構造】
城の特徴は中国式山城の築城法でもってたすき状に築かれ、山の尾根づたいに望楼(物見やぐら)を配し、西麓の平地に面して高さ10メートル南北2キロメートルにわたる土塁・石塁をもって固め、その間に城門や水門等を造り、敵襲に備えたとみられる。土塁の外側には幅15メートルの濠も確認されている。
現在遺構としては、高祖山の西裾に1.6キロメートルの土塁、尾根線上に計8か所の望楼跡が残るものの、城内はどのように利用されたか、いつごろ廃城となったか等不明な点が多い。
2007年の発掘によると、小石を詰めた堀が土塁の内側に配していたことがわかった。山の斜面からの雨水で土塁が決壊しないように排水した設備と見られ、大陸の山城築城にはない独自の工夫とみられる。
【その他】
その後、戦国時代地元の豪族、原田種継が城郭を再利用して中世山城の高祖城を築城した。[続きを見る]
怡土城の口コミ情報
2018年05月15日 カーネル
怡土城
高祖山頂(上ノ城址)から下ノ城址に下ると分岐になりますが、高祖神社ではなく尾根を進みます
土橋っぽいやせ尾根もありますが、普通の山道を1.8km下ると分岐があり、ここは高来寺バス停方面へ進むと、望楼跡がわんさかと出てきます
案内は充実していて、道も踏み固められていて歩きやすいです
山道を下ると高来寺バス停がありますので、周船寺駅までバスで戻りました
高祖バス停-高祖神社-高祖山-怡土城址-高来寺バス停で1時間45分でした
2012年08月26日 アヴァンシア
怡土城
高祖神社の麓に石碑が有ります。
特に駐車場は有りませんが石碑の下に数台の駐車 スペースが有ります。
また、地元の方々で整備された説明板の横に未だ木の香りが残るきれいなトイレも有ります!