二丈岳城(にじょうだけじょう)
二丈岳城の基本情報
通称・別名
- 二條岳城、深江岳城
所在地
- 福岡県糸島市二丈深江
旧国名
- 筑前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 大友氏
築城年
- 室町時代
主な改修者
- -
主な城主
- 深江氏、草野氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財
- 市史跡(二丈岳城)
再建造物
- -
周辺の城
-
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二丈岳城の口コミ情報
2024年09月10日 毛利家の甲斐守末裔
二丈岳城
二丈岳の頂上に二條城跡と書いてある以外に遺構などはありませんが、見晴らしはとても良いです。8時半前でしたが登山に来た老夫婦が先にいてお弁当を食べていました。ちなみに筑前深江駅から約1時間半ほどで山頂まで登りましたが、ロープ使わないと登れない場所もあるのでご注意下さい。
2024年03月03日 まー越後守
二丈岳城
頂上に石垣があります。少しですが。結構険しい山にどうやって石垣?って感じです。
2023年03月09日 龍馬備中守【】
二丈岳城
福岡県の糸島市にある【深江岳城】♪城郭詳細が無い為、入れておきます♪別名を二丈岳城とも呼びます♪北に玄界灘が広がり、壱岐までも見渡せる場所☆眼下には唐津街道が走り、南には女岳、浮嶽など比較的、高い山塊が連なります♪この二丈岳の標高711mのピークを中心に城郭は立地しました♪
中世に築かれたと思われる、この城郭の築城は諸説あって定かではありません☆
豊後国・大友氏と周防国・大内氏、更には少弐氏が北部九州の覇権を争っていた室町時代の永享3年(1431年)に少弐満貞や大友持直が立て籠る深江岳城に攻めた大内盛見は戦い討死していて、この頃には城は築かれていたとも考えられています☆
二丈岳の戦いで大内盛見を実際に討ったのは、大友・少弐勢に加わっていた菊池氏だと云われています☆菊池氏は肥後国を中心とした名族で、元寇襲来時や鎌倉幕府討幕、更には南北朝の戦いと北部九州の戦乱では度々主役を演じてきた武将様ですね☆
戦国時代、この怡土郡は原田氏が領していて、この深江岳城は、深江豊前守良治や深江備前守種秀が城主でありました♪高祖山城を本城とする原田氏の支城として機能しています☆
天正15年(1587年)秀吉による九州征伐では原田了栄の次男・草野鎮永が深江岳城を守備していましたが、本家、原田氏が降伏すると草野鎮永も城を棄てて肥前に退きました☆
標高711mの二丈岳のピークを中心に東西に細長く伸びる尾根を加工して築かれています♪城郭の南側の側面には石積みを配して防御を固めています☆郭の縁辺部は断崖絶壁になっているんですが、よくもまぁ、あんな所に石を積んだな〜と驚きました☆主郭西側には
二重堀切が残りますが、大分浅くなっていました☆城郭の中心部には国見岩がドーンと横たわっていますが、実際の主郭の中心部だったか?というとスペースが狭い為、疑問が残りました☆国見岩☆付近は眼下との連絡を取る手段、望楼的な役割を果たしたんじゃないかなぁ〜?