二丈岳城(にじょうだけじょう)

二丈岳城の基本情報

通称・別名

二條岳城、深江岳城

所在地

福岡県糸島市二丈深江

旧国名

筑前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

大友氏

築城年

室町時代

主な改修者

主な城主

深江氏、草野氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切

指定文化財

市史跡(二丈岳城)

再建造物

周辺の城

鬼ヶ城(佐賀県唐津市)[6.8km]
雷山神籠石(福岡県糸島市)[8.7km]
親山城(福岡県糸島市)[11.0km]
古湯城(佐賀県佐賀市)[14.2km]
唐津城(佐賀県唐津市)[14.3km]
高祖城(福岡県糸島市)[14.8km]
怡土城(福岡県糸島市)[14.9km]
三瀬城(佐賀県佐賀市)[15.0km]
曲渕城(福岡県福岡市)[16.2km]
柑子岳城(福岡県福岡市)[16.8km]

二丈岳城の口コミ情報

2025年03月19日 龍馬備中守【】
高祖崎城[二丈岳城  周辺城郭]



福岡県糸島市の二丈石崎にある【高祖崎城】♪別名を石崎城と呼ばれます♪古代には、周りは海の中であろうか?と思われそうな、ロケーションです♪西側は唐津湾が広がり、周りは小高い山々(島の様な?)が聳え、南側は脊振山地♪
そんな、山々に囲まれた盆地の中の高台に、高祖崎城は存在しました♪引き続き古代から怡土国として栄えた、糸島のお城です♪中世には大蔵一族である、高祖山城の原田氏が領しています♪

大字石崎は、糸島郡誌の中に以下のように記されています♪城郭の事ではありませんが、記載します♪

『人家本村(三十五戸)、口戸(四戸)、二所ニアリ。』

『田ハ晩稻。菜種畑ハ麥、粟等ヲ作ル。人口ニ比較スレバ田少シ。』

『隣村波呂、片峯、満吉、河原、松末五村ノ田地ヲ耕シテ、自ラ給スルノミ。』

『彊域東及南波呂十二町、長石九町、南滿吉八町、西上深江十一町』

『北松末二十二町、東北武十六町あり。人家は本村、口戶、堤田の三所にあり。』

『舊中津領廿四村の一なり。上右は此邊まで入海なりしと云ふ。』

『區の名も海濱より來れりと聞ゆ。地形平坦。』

かつての石崎村は、東南に満吉、東に波呂、西に上深江(片峯)に隣接し、平地面積の多い村でした。しかし田畑が少なかった為、村民は波呂、片峯、河原、満吉、松末まで耕作に出向いていた様で、人家は本村と口戸の2ヵ所となっています。『石崎』の地名は、遠い昔、深江の羅漢川一帯の平地が入り海で、現在の石崎北部も海に面していた事に由来すると考えられています。

また、同地には曲り田遺跡があり、昭和56年(1981年)にこの地で弥生早期の稲作遺構が発掘されています♪そこより南100メートルには、石崎の中央部である、一貴山小学校裏の小高い山があり、この山は『経塚山(京塚山)』と呼ばれ、毎年10月には「経塚山供養」として、山上の石塚に写経した石を奉納する慣わしがあります♪

さて、高祖崎城ですが、城郭の詳細は不明であります。現在、高祖崎城は一貫山小学校一帯となっています。小学校建設の際に遺構が破壊されている為に、土塁や石塁、堀等、見当たりません。幕政時代の代官所と思われるものが、僅かに現存します。

戦国時代には、高祖山城主・原田氏の支城であったと伝わります♪が、江戸時代には唐津藩領となっていて、寺沢志摩守広高により、この辺り一帯を治める為の支城として活用されています♪高祖崎城を利用して支庁を置いています♪寺沢氏が天草の乱の後に改易となると、廃城となっています。
享保2年(1717年)に豊前国中津藩領(奥平領)となり、武村に代官所を、後に、深江新町に奉行所を設け、明治までの間、司法・行政の全権を持って支配しています。

2024年09月10日 毛利家の右衛門督末裔
二丈岳城

二丈岳の頂上に二條城跡と書いてある以外に遺構などはありませんが、見晴らしはとても良いです。8時半前でしたが登山に来た老夫婦が先にいてお弁当を食べていました。ちなみに筑前深江駅から約1時間半ほどで山頂まで登りましたが、ロープ使わないと登れない場所もあるのでご注意下さい。

2024年03月03日 まー越後守
二丈岳城

頂上に石垣があります。少しですが。結構険しい山にどうやって石垣?って感じです。

2023年03月09日 龍馬備中守【】
二丈岳城



福岡県の糸島市にある【深江岳城】♪城郭詳細が無い為、入れておきます♪別名を二丈岳城とも呼びます♪北に玄界灘が広がり、壱岐までも見渡せる場所☆眼下には唐津街道が走り、南には女岳、浮嶽など比較的、高い山塊が連なります♪この二丈岳の標高711mのピークを中心に城郭は立地しました♪
中世に築かれたと思われる、この城郭の築城は諸説あって定かではありません☆

豊後国・大友氏と周防国・大内氏、更には少弐氏が北部九州の覇権を争っていた室町時代の永享3年(1431年)に少弐満貞や大友持直が立て籠る深江岳城に攻めた大内盛見は戦い討死していて、この頃には城は築かれていたとも考えられています☆
二丈岳の戦いで大内盛見を実際に討ったのは、大友・少弐勢に加わっていた菊池氏だと云われています☆菊池氏は肥後国を中心とした名族で、元寇襲来時や鎌倉幕府討幕、更には南北朝の戦いと北部九州の戦乱では度々主役を演じてきた武将様ですね☆

戦国時代、この怡土郡は原田氏が領していて、この深江岳城は、深江豊前守良治や深江備前守種秀が城主でありました♪高祖山城を本城とする原田氏の支城として機能しています☆
天正15年(1587年)秀吉による九州征伐では原田了栄の次男・草野鎮永が深江岳城を守備していましたが、本家、原田氏が降伏すると草野鎮永も城を棄てて肥前に退きました☆

標高711mの二丈岳のピークを中心に東西に細長く伸びる尾根を加工して築かれています♪城郭の南側の側面には石積みを配して防御を固めています☆郭の縁辺部は断崖絶壁になっているんですが、よくもまぁ、あんな所に石を積んだな〜と驚きました☆主郭西側には
二重堀切が残りますが、大分浅くなっていました☆城郭の中心部には国見岩がドーンと横たわっていますが、実際の主郭の中心部だったか?というとスペースが狭い為、疑問が残りました☆国見岩☆付近は眼下との連絡を取る手段、望楼的な役割を果たしたんじゃないかなぁ〜?

二丈岳城の周辺スポット情報

 高祖崎城(周辺城郭)

 駐車場兼登山口(駐車場)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore