松尾城(新)

松尾城(新)([千葉城  周辺城郭])

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松尾城(新)の口コミ情報

2024年05月04日 龍馬備中守【】


佐賀県の小城市にある【松尾城(新城)】♪光勝寺の背後にある肥前千葉氏の松尾城(旧城)の北西に築かれた戦国時代の山城です♪

岩蔵谷の東方の出口、祇園川の西岸の山中に城郭は存在します♪松尾集落は古くは鎮西本山松尾山光勝寺の寺領となっています♪ この、よく見る寺領と云うのは、往時の寺社仏閣の力強さを見る事が出来ます♪ 古墳時代から平安時代にかけて変わっていった文化の1つとして、豪族などの埋葬方法の変化という事が挙げられますが、大規模な前方後円墳などの古墳群はやがて終焉を迎え、時代感の変わり目と共に仏教の伝来♪
仏教は急速に広まり、古墳を造る土木量を使うよりも…と、寺などの建物を築造する事に力を注ぎ発展していったのでしょう♪自然信仰を行いながら、信仰対象は仏様などに変化♪今に見る仏像や墓跡と云うのは、信仰の対象や埋葬方法の変化と共に、寺社仏閣が力を持っていった証拠なのであります♪地域を細かく調べて行くと、平安時代には『寺領』となっている場所が多くて、この後の鎌倉時代には武家が力を持ち武力を持つモノが強い♪所謂、武家社会の世へと変化して行くと云う訳でございます♪

話は飛んでしまいましたが、寺社仏閣と云うのは、力を持った時代があり、生き残りをかけた歴史があり、今残る寺社仏閣の価値と云うのは、ヤハリ意味がある♪城郭と寺社仏閣の繋がりを見ていく事は、また違った歴史の見方が出来るのかもしれません♪

さて♪この松尾城(新城)の話です♪標高220mに立地します♪北斜面は鋭く、弓形の尾根上に城郭は形成されています♪主郭東側は、一段下り削平地♪副郭かな?その先も段郭が数段あり♪斜面尾根先に数条の竪堀♪シダに囲われていますが、凹凸を確認出来ます♪その先、比高を下げて堀切♪東側の防御が固い印象であります♪主郭西側の尾根が伸びた場所にも削平地があり、虎口状の開きと土塁が確認出来ます♪ この城郭の詳細は不明です☆ 戦国時代の肥前国では、少弐氏を滅ぼした事で肥前一国を支配下に置いた、龍造寺隆信の勢力が伸張し、肥前草野氏もまた、隆信の圧迫を受ける様になってきます☆ 天正元年(1573年)唐津・鬼ヶ城主の草野鎮永は肥前・千葉胤誠の遺臣らを煽動して、龍造寺氏へ一揆を起こさせようとしました☆龍造寺隆信はこの一揆に対して、出兵して鎮圧しています☆

この時に、この松尾山に陣営を構えていたと伝わっています♪千葉胤誠らの居る小城郡を押さえ込む為に築かれた砦と思われます☆ 小城一揆を撃破した際は、肥前・徳島氏(芦刈徳島城)、肥前・鴨打氏(芦刈鴨打城)、窪田氏等が従軍しています♪ その後、天正2年(1574年)小城一揆を掃討した龍造寺隆信は、山内の神代氏と西波多の波多三河守の援軍をもって、2万の大軍で草野鎮永の鬼ヶ城に攻め込みました☆ 龍造寺隆信の狂歌で、『正月の一月二日の事なれば草野を焼きて鏡餅かな』と残っています☆草野鎮永は、実父である原田了栄の下に亡命しています☆ 尾根伝いに南に進んでいけば、松尾城(旧城)に辿り付きますが、コチラは肥前・千葉氏の城郭となり別物となります♪

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