赤自城

赤自城([千葉城  周辺城郭])

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赤自城の口コミ情報

2023年12月23日 龍馬備中守【】


佐賀県の小城市にある【赤自城(赤自荘)】♪遺構は残りません☆
田畑になってしまっていますが、かつてこの場所には城館が存在しました♪

現在その地名は織島となっていますが、小字では赤司(あかぜ)と残ります♪近隣は肥前・千葉氏の千葉城の眼下を祇園川が流れます♪この祇園川東岸に赤自城は立地します♪

中世の早い時期、平安時代中期〜鎌倉期には、赤自荘と荘園がありました♪
この場所は、宇佐八幡宮の領となっています♪赤目荘とも書かれています♪
赤自荘は天平勝宝年中(749年〜757年頃)に公家が宇佐神宮に寄進したとあります♪
平野から見える天山を山岳信仰していたのでしょうか?赤自宮の存在もそうですが、社僧の私領地として荘内には寺社が幾つか点在していた様です♪

元応元年(1319年)鎮西下知状によると、河上社一切経会免田小柳田地7反3丈の神役をめぐる争いでは、河上社雑掌禅勝と赤自三郎蔵人善願の女子藤原氏女との間に相論が起こり、氏女の所役対捍を禅勝は訴えており、この時には鎮西探題・北条随時によって平和的な下知が下されています♪
ここに出てくる赤自三郎蔵人善願という人物が、この赤自荘の在地領主と思われます♪
同内にある赤司遺跡からは、U字状の濠遺構が発見されていて、濠に囲まれた内側には掘立柱跡が出てきており、中世の豪族の環濠居館跡と推測されています♪赤自三郎蔵人善願の居館跡だった??のかもしれませんね♪
この辺りには、幾つか居館跡が点在しているので、一概には言えませんが…☆

その後、鎌倉時代初期に入ると小城郡の惣地頭には鎌倉の御家人である肥前・千葉氏が付いています♪元寇の戦いの時から、それまでの代官を派遣しての支配から変わり、自ら小城の地へ下り国土防衛に従事しています♪
代々、小城郡で活躍していく肥前・千葉氏ですが、初代である千葉頼胤は『文永の役』の防戦中の傷が元で、小城に没しています☆
その子、千葉宗胤も小城の地に下向し『弘安の役』で活躍♪
千葉宗胤の子、千葉胤貞も鎌倉時代末期から建武新政期にかけて、関東、京、小城と活動範囲を強めました♪
肥前・千葉氏は室町時代に入ると、千葉城、晴気城を中心に、支城群として高田城(正確な所在は不明ですが、遠江、社辺りと思われます☆)、平井館、松尾城、牛尾城と、この赤自城などを拠点として、小城に勢力を振るい活躍しました♪
ここ、赤自城は赤司地区にあり平城形式の城館(砦)であった様です♪古代から中世前期まであった、赤自荘を背景に城館はより強固な形成をされたと思われます♪

嘉瀬川を挟み南東方の佐賀平野、ハタマタ、多久、唐津方面、島原方面と多方向から攻め入る敵勢力の侵入を、支城群である赤自城等が、本城である千葉城や晴気城を守り機能したと推測出来ますね♪

写真の寺院は、勝妙寺です♪肥前に下向した千葉胤貞、胤泰と共に下向して来た日厳が、松尾山光勝寺の院家として、創建した事に始まります♪写真の畑になっている場所付近が、赤自城があった場所となります♪

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