佐伯城(さいきじょう)

佐伯城の基本情報

通称・別名

鶴ヶ城、鶴屋城

所在地

大分県佐伯市鶴谷城山

旧国名

豊後国

分類・構造

山城

天守構造

独立式望楼型[3重/1606年築/焼失(火災)]

築城主

毛利高政

築城年

慶長11年(1606)

主な改修者

主な城主

毛利氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、櫓門、石垣

指定文化財

県有形文化財(三の丸御殿櫓門)

再建造物

周辺の城

栂牟礼城(大分県佐伯市)[3.7km]
宇土山砦(大分県佐伯市)[8.8km]
大友別館(大分県津久見市)[12.6km]
久保泊城(大分県津久見市)[13.9km]
用来城(大分県佐伯市)[16.0km]

佐伯城の解説文

佐伯城(さいきじょう)は、大分県佐伯市にあった日本の城である。江戸時代には佐伯藩の藩庁が置かれた。「さえき」と読むのは誤り。

概要
関ヶ原の戦いにおいて、徳川方(東軍)に与したことにより毛利高政は佐伯2万石を与えられた。しかし佐伯氏の旧居城・栂牟礼城は険阻な山城で、平時の統治には不便であったため、高政は栂牟礼城を廃して番匠川河口近くの八幡山に新たに山城を築いた。縄張は織田信長の元家臣で安土築城にあたった市田祐定、石垣は天正期姫路城の石垣施工を指揮した石垣師の羽山勘左衛門が担当した。

江戸初期の火災によって、高政創建時の建物は失われたが、6代高慶のとき再建と改修が行われたが明治の破却により、再び山上の城は建物を失った。主郭部の石垣と三の丸御殿の正門が三の丸に現存する。また、三の丸御殿の一部が市内船頭町に地区集会所(住吉御殿)として移築され現存する。このほか、お浜御殿が市内城下東町の民家に移築され利用されていたが、現在城下町佐伯国木田独歩館として利用されている。三の丸御殿敷台が、佐伯市船頭町に移築され、公民館として使用され現存している。

歴史
1601年(慶長6年)、豊後国日田郡日隈城より佐伯氏の居城であった栂牟礼城へ2万石で毛利高政が入封し、翌1602年(慶長7年)から1606年(慶長11年)の6年の歳月をかけて、八幡山に築かれた。1617年(元和3年)、二の丸より失火して、本丸と天守を焼失し、以後天守は上げられなかった。1637年(寛永14年)3代高尚のとき、麓に三の丸を増築し、三の丸に居館が移されて以降は、城の中心施設として利用された。山上の本丸・二の丸などは、焼失および居館の移設によって放置され荒廃が著しかったため、宝永6年(1709年)に6代高慶によって天守以外の建物が復興、修復されている。

1871年(明治4年)7月に、佐伯県庁が置かれ佐伯城は廃城とされた。三の丸以外の建物はすべて払い下げ、撤去された。土地は旧藩主である毛利家に譲渡されている。1970年(昭和45年)、三の丸御殿の一部を解体、民間の建物として移築され、翌年、跡地に市立佐伯文化会館が建てられている。2017年(平成29年)、続日本100名城(194番)に選定された。

構造
総石垣である。本丸を中心に、南北に長く連郭式に配し、本丸南に二の丸、西出丸、本丸北に北出丸、捨曲輪を配置している。これに3代高尚の時に麓の三の丸を加えた。3重の天守があった本丸と本丸外曲輪を中心に二重櫓5基、平櫓1基、城門7棟などが建てならべられた。本丸と二の丸は堀切で遮断され、当時は廊下橋が渡されていた。

天守
天守は、3重で本丸の北よりに建てられていた。詳細な姿は不明であるが、天守の立面を描いた図面が第二次世界大戦中に行方不明となったとされ、その写しとするものが残っている。

その写しには、平面寸法を8間×7間(8間半×7間半)。1重目南北面を妻側として屋根を大入母屋とし、東西面平側屋根に千鳥破風、2重目葺きおろしの屋根東西面屋根に千鳥破風、3重目東西面を妻側として入母屋とし、南北面平側に唐破風。壁は、2重目以降下見板張り窓は突き上げ窓、3重目のみ真壁に連子窓、廻り縁高欄、破風板に飾り金具などが描かれている。

建築...

佐伯城の口コミ情報

美濃守@チャージしたい様[2017年08月08日]
佐伯駅からバスで大手前停下車(約10分、¥140)。そこから左手に歴史資料館、右手に白壁の塀や門のある小学校の前を通り、よく投稿されている三ノ丸櫓門へ。

櫓門を潜ると文化会館や平櫓風トイレを見つつ山に向かうと、山頂までの案内板があり、登城への道と独歩の道の2つの選択肢があります。登城への道を選択し上を目指しましたが、この道は自然道で石が散乱し途中で苔生える岩盤のようなところもあって足元が悪く、道脇は手摺りのない斜面、右に折れたり左の折れたりと、歩きにくいのを覚悟しといたほうがいいです。

途中で4~5人抜きながら25分ほど歩くと山頂の二ノ丸石垣が迎えてくれます。麓から木々に隠れてわからなかったですが、いい状態で石垣が残っており、曲輪からは眼下に佐伯湾が見えいい眺めです。気温34℃でしたが、湾からの風が心地よかったです。本丸も石垣がいい状態で、山の形状に合わせてる部分は算木がなく曲線でした。下りは独歩の道でおりましたが、こちらは歩きやすかったです。

佐伯は魚介が有名と聞きましたが、佐伯駅売店の雪ん子寿司は、ネタが椎茸と大根で絶妙なハーモニーで美味しかったです。

なっちゃん織部正様[2017年05月09日]
城巡り初心者で普段運動不足な私にとっては、けっこうキツい城攻めでした(道のりが短く険しいルートを選んだため)
足元の石もゴツゴツして登りづらいと感じたので、動きやすい服装と履き慣れた運動靴で登る事をおすすめします。登り口の所には杖が用意してあります。天守跡からの眺めは素晴らしく、息も絶え絶えな状態でありながらとても爽快感を得られました。

五瓜ニ唐花紋大納言や〜きみ様[2017年05月08日]
麓に駐車場と資料館があります。
麓に杖があるので使った方がいいです。
山道は道幅が広く歩きやすいです。
頂上は石垣があり、眺めもよく釣りバカ日誌の撮影にも来たみたいで、釣りバカ日誌の看板があります。

柴崎安房守幸助様[2016年02月15日]
佐伯市歴史資料館の無料駐車場が利用できます。山上の本丸まで緩やかなコースで20分位。ハイキングに訪れる地元の方も多く、山上からの景色は最高です!余裕があれば麓の史跡散策もオススメです♪

加藤豊後守清正様[2013年10月20日]
他にも、鬼瓦の一部や櫓に葺いていた瓦、御殿に 使ったと思う一文字瓦がある。改修後、番人を二 人置き麓に御殿を建てている。御殿は一部しか残 らず。収蔵品は、高政所用の甲冑、朝鮮時の金箔兜、歴代藩主の甲冑など数百点に及ぶが残念な事に一般公開していない

加藤豊後守清正様[2013年10月19日]
破棄された瓦には模様が違うものがあり、中でも宝珠紋は播磨国で多く見つかっていて築城当時か改修時どちらかだ。両者による築城は間違いないだろう。因みに市田は、藩主の命令により子を置いて城下に住まわされ、その子孫が今も城下に住んでいるという。話は戻るが、石垣には貝の跡があり海から運んで来たことは間違いない。また、石を割ったのみの跡も残っている。

加藤豊後守清正様[2013年10月19日]
古式的な造りで、見所は本丸の高石垣。その上には、大きな天守台があり立派な天守が建っていただろう。これだけ大きいと移築説も否定できない。高石垣の隅は丸く整えられ、江戸中期の改修の時と言われている。裏の隅は、穴太衆の特徴とも言える反りのない垂直な造りで、石垣の積み方が近代と古式に分かれている。記録では、財政難により何年もかけて改修しているので良い所はそのままあるいは、意図的に残した可能性も。

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