三沢城(みざわじょう)
三沢城の基本情報
通称・別名
- 三澤城、亀嶽城、鴨倉城
所在地
- 島根県仁多郡奥出雲町三沢鴨倉
旧国名
- 出雲国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 三沢(飯島)為長
築城年
- 嘉元2年(1304)
主な改修者
- 堀尾吉晴
主な城主
- 三沢氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、堀切、竪堀、井戸
指定文化財
- 県史跡(三沢城跡)
再建造物
- -
周辺の城
-
佐世城(島根県雲南市)[12.6km]
三刀屋氏城館(島根県雲南市)[13.0km]
日倉城(島根県雲南市)[13.2km]
茶臼山城(島根県雲南市)[16.2km]
牛尾城(島根県雲南市)[16.2km]
蔀山城(広島県庄原市)[18.9km]
高瀬城(島根県出雲市)[19.9km]
布部城(島根県安来市)[20.1km]
金山要害山城(島根県松江市)[20.3km]
玉造要害山城(島根県松江市)[23.8km]
三沢城の解説文
[引用元:Wikipedia「三沢城」の項目]
三沢城(みざわじょう)は、島根県仁多郡奥出雲町三沢にあった日本の城。尼子十旗と呼ばれる戦国大名・尼子氏の家臣団が守る城塞群(日本の城)の1つ。島根県指定史跡[1]。
歴史
信濃源氏の後裔で、信濃国飯島郷地頭の一族が、承久3年(1221年)の承久の乱で戦功をあげ、出雲国三沢庄を与えられ三沢氏を称した。三沢為長(為仲)は、因幡国鹿野(鳥取市。旧気高郡鹿野町)を経て往来し、この地で良質な砂鉄を採取して野タタラ製鉄、山野開拓により力をつけ、嘉元3年(1305年)、仁多郡内をはじめ島根半島までも一望できる要衝の地・鴨倉山に当城、要害山三沢城を築城したのがはじまりである。
築城と同時に、為長は信濃から当地に移り、以後、姓も三沢と改める。延元3年(1338年)、大原香折新宮(加茂町屋裏)の地頭職となり、出雲平野部進出の足がかりを得た。
永正6年(1509年)、三沢為忠の代に、横田の高鍔山に藤ヶ瀬城を築城しここに移ったが、三沢城には城番を置いていたものと見られる。
天文9年(1540年)、この頃、三沢為幸は尼子氏に従って吉田郡山城の毛利氏を攻める(吉田郡山城の戦い)。毛利元就に敗れた尼子勢が敗走する中、三沢十勇士を引き連れて、毛利本陣を襲い、ここで討死する。
永禄元年(1558年)、三沢為清は、尼子晴久に従い、再度、毛利攻めに出陣、この時、三沢城留守居役・布広氏は、郎党を引き連れて、毛利本体に合流せんとする高野山城勢を阿井福原で破った。
永禄3年(1560年)、三沢氏は毛利氏に降礼をとり、後は毛利氏に従って尼子氏の高尾城・馬木矢筈城攻め、永禄9年(1566年)に尼子氏の本城・月山富田城攻め(尼子氏、毛利氏に降る)、天正6年(1578年)には織田信長の庇護を受けて再興を目論む尼子勝久・山中幸盛の上月城を攻め(上月城の戦い)、続いて天正9年(1581年)同じく羽柴秀吉により水攻めを受ける備中高松城救援などに従った(備中高松城の戦い)。
しかし、天正17年(1589年)、三沢氏の威勢を恐れた毛利氏の甘言により、三沢為虎は、一族郎党と共に安芸に出頭し、厳しい監視下に置かれ、三沢に帰城することも許されないまま、長門国厚狭郡に1万石を与えられ、毛利氏家臣となった。
この後の三沢城の委細については不明である。
構造
標高418メートルの要害山を利用して築造された。北の斐伊川、南の阿井川、東の三沢川を天然の堀とし、城の裏手に当たる西側は阿井川に沿って比高200メートルを越える切り立った崖とする天然の要害となっている。当城と布広城の複合式城塞としては、出雲国人が築いたものとして山陰で最大のものと言われ、中世山城の代表的な遺構として島根県史跡の指定を受けている。
山麓には複数の屋敷と出丸があり、大手門を入ると二の丸である。更に神の木坦など複数の曲輪を傾斜地に設けて、城址碑のある1つのピークに至る。当城は2つのピークを持つ複郭式城塞であり、虎口をたどると北の郭、鳥居丸から本丸に至る。更にその南下に、馬乗馬場、岩棚と呼ばれる曲輪が設けられている。
参考文献
- パンフレット「要害山三沢城跡」
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三沢城の口コミ情報
2025年08月03日 生駒伊予守江現蔵✿
三沢城
三沢城跡は出雲国奥出雲町の標高418メートルの要害山に築かれている中世の典型的な山城です。出雲国内最強といわれた三沢氏が築き本拠とした城で、頂上の主郭部から派生する尾根に豪快な曲輪群を配置しています。
6月下旬の松江EXPOの2日目、まだまだ暑い17時半から直登クラブメンバー3人で訪城しました。伯耆のレジェンド城友さんのオススメで、讃岐の城友さんの地元の名城なので、このチャンスにウキウキです。
みざわの館に車を止め、看板横の登山口から登り始めてすぐに広大な城域です。GWに訪城した越中増山城の雰囲気。斜面は漢方薬にもなるオウレンの群生地です。
堀切を埋めているような大手門石垣を抜けると二の丸の看板があります。案内板ではなぜか二の丸の先が三の丸と本丸になっています。
ジグザグ配置の迷路石垣、九十九折りの七曲りは帰りに通る事にして、先に主郭武者走りへ。南の段曲輪は岩棚と呼ばれています。主郭の切岸はとても高くて下から見上げると山のよう。
主郭と北側の鳥居丸の間の本丸城濠(じょうごう)と呼ばれる大堀切りは圧巻です。主郭と鳥居丸には虎口があり、堅固な縄張りになっています。鳥居丸は北側に段曲輪が伸びていて、古井戸も有ります。
主郭は景色抜群で、亀の形をした埋蔵金伝説の亀岩がありました。七曲りを降りて東側には水ノ手の十兵衛成の館があります。三澤池の水は透き通っていてます。
じっくり調査して1時間ちょっとのオススメ山城。県指定史跡ですが、国指定史跡じゃないのが不思議です。手入れされていて、夏でも感動のしっかりした遺構が見られます。出雲国を訪れる際には是非行ってみてください。
2025年07月02日 気分爽快遠江守
三沢城
いつか訪城したいリストに上げた中で、出雲国として未訪問だった三沢城に、松江に行く機会ができたので寄ってきました。奥出雲町まで行くことはなかなかないので、EXPOin松江(こちらがついで)開催に感謝です。
下山時に「みざわの館」のおじさんにパンフレットいただきました。「みざわの館」は宿泊可能なようなので、奥出雲探索の拠点にするのもありかと思います。
①大手門石垣
②広い二の丸
③十兵衛坦横の水の手口
④馬乗馬場の土塁
⑤岩棚
⑥本丸切岸
⑦本丸と鳥居丸との間の堀切
⑧岩坦なる郭だろうか?
2024年07月08日 ᴿᴱᴰ 副将軍
布広城[三沢城 周辺城郭]
三沢氏一族の布広氏の居城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。三沢氏によって築かれた三沢城の支城と云われます。三沢氏の支族であり家老の布広氏の代々の居城であったと伝わります。
見所
三沢城から東へ約800mの谷を挟んだ尾根先端に築かれています。
尾根先端頂部が主郭で北尾根は空堀となっており、東側は段郭が続きます。切岸は垂直に近い鋭さがありますが未整備で主郭は激ヤブでした。
2018年09月26日 織田上総介晃司
三沢城
国道314号から、みざわの館又は三沢小学校を目指しましょう。
みざわの館に駐車場がありますが館の前は軽自動車を停めるのがやっと。
普通車は一段下の駐車場に停めたほうが楽です。
トイレは登城口と迷路石垣の側にあります。
三沢城の近くには景勝地、鬼の舌震があります。
奥出雲はそば作りがさかんで、私のお薦めの店は
安来・広瀬(月山富田城)方向では亀嵩駅の駅そば。小説やドラマ「砂の器」の舞台になった亀嵩駅の構内にある蕎麦屋。
おろちループ・東城(五品嶽城)方向では八川そば。八川駅前にあります。
両方とも電車で行けるので鉄道めぐらーさんも食べることができます。
2017年10月07日 笑門来猫
三沢城
中世山城の見所がギュッと詰まった、とてもいいお城です。維持管理されてる地元の方に感謝。
2017年10月07日 笑門来猫
三沢城
北東から、みざわの館を目指しましょう。Yahoo!ナビに従うと、トンでもない所に連れていかれます(´Д`)
2016年08月13日 いえろーまん宮内卿
三沢城
ふもとの「みざわの館」にパンフレットがあります。9時~17時、火水休みです。
車でないと行けません。
三沢城の周辺スポット情報
大手門石垣(遺構・復元物)
十兵衛担(遺構・復元物)
水の手口(遺構・復元物)
馬出し堀(遺構・復元物)
三沢池(遺構・復元物)
二の丸(遺構・復元物)
迷路石垣(遺構・復元物)
鳥居丸(遺構・復元物)
鳥居丸城濠(遺構・復元物)
古井戸(遺構・復元物)
布広城(周辺城郭)
松木山城A(周辺城郭)
松木山城B(周辺城郭)
亀山城(周辺城郭)
トヤゲ丸城(周辺城郭)
下布施氏館(周辺城郭)
下布施土居上城(周辺城郭)
水手山城(周辺城郭)
佐白城(佐白砦)(周辺城郭)
矢谷古城山城(矢谷古城山砦)(周辺城郭)
石原城(里田城)(周辺城郭)
須賀非山城(須我非山城、三所城山城)(周辺城郭)
大内原土居館(周辺城郭)
深野城(周辺城郭)
上山城(周辺城郭)
米山城(周辺城郭)
愛宕城(川西愛宕城)(周辺城郭)
鳥見城(唐墨城、加良須美城)(周辺城郭)
高丸城A(周辺城郭)
高丸城B(周辺城郭)
中垣内上城(周辺城郭)
戸屋ヶ崎城(戸屋ヶ崎砦)(周辺城郭)
殿居屋敷館(周辺城郭)
戸井山城/鳥屋ヶ丸城(周辺城郭)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)