日倉城(ひぐらじょう)

日倉城の基本情報

通称・別名

日倉山城、掛合城

所在地

島根県雲南市掛合町掛合

旧国名

出雲国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

多賀山通定

築城年

室町時代

主な改修者

主な城主

多賀山(たかのやま)氏、毛利隆元

廃城年

天正19年(1591)

遺構

曲輪、土塁、虎口

指定文化財

市史跡(日倉城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

茶臼山城(島根県雲南市)[9.8km]
三刀屋氏城館(島根県雲南市)[12.8km]
三沢城(島根県仁多郡)[13.2km]
佐世城(島根県雲南市)[18.3km]
半分城(島根県出雲市)[18.3km]

日倉城の解説文

日倉城(ひぐらじょう)は島根県雲南市掛合町にあった城である。

遺構
雲南市の山間部を流れる三刀屋川と吉田川の合流地点南側、日倉山山頂に位置する山城である。

山頂の曲輪が主郭とされ、主に北の尾根筋に沿って小規模な曲輪が階段状に造成されている。

尾根の先端部は東西両側に土塁が築かれており(『出山』)、そのまま北側の専正寺・宗円寺方向へ放射状に広がる削平地へと続いている。

堀切や竪堀が見られない(『週日』)ことから、古い形態を保ったまま改修されずに廃城に至ったものと考えられる。

歴史
甲山城(こうやまじょう、広島県庄原市)城主、山内首藤(すどう)氏の一族である多賀山(たかのやま)左京亮通定が築いたのが始まりという(『大系』)。

多賀山氏は尼子氏に従っていたが、天文12年(1542)大内義隆による出雲遠征が始まると大内方に転じた。しかし、義隆が尼子晴久に敗れて敗走したため、多賀山氏もこれに従い大内氏の本拠である山口へ退いた。

義隆は後に家臣の陶晴賢に殺害され、その陶氏も毛利元就に攻め滅ぼされると、多賀山氏は毛利氏に仕え旧領に復した。

日倉城は元就が尼子氏攻略の過程で重視した瀬戸山城と三刀屋城の中間に位置したため、一時期元就嫡男の隆元が入城したという(『出山』)。 交通
JR西日本木次線木次駅から車で約25分

参考文献
『出山』:『出雲の山城―山城50選と発掘された城館(高屋茂男編)』ハーベスト出版、2013年10月。
『大系』:『日本城郭大系 第2巻』新人物往来社、1980年。
『週日』:『週刊日本の城』デアゴスティーニ・ジャパン、2013年。

日倉城の口コミ情報

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