佐世城(させじょう)
佐世城の基本情報
通称・別名
- 金剛山城
所在地
- 島根県雲南市大東町下佐世
旧国名
- 出雲国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- 不明
築城主
- 佐世清信
築城年
- 正中3年(1326)
主な改修者
- 佐世氏
主な城主
- 佐世氏
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、土塁、横堀
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
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佐世城の解説文
[引用元:Wikipedia「佐世城」の項目]佐世城(させじょう)は戦国大名・尼子氏の家臣佐世氏の拠点で、島根県雲南市大東町佐世に位置する。
【歴史】
佐世・金剛山は佐世氏の拠点で、いつごろ築城したかはっきりしていないが、佐世を支配管理し、また外敵に備えるのにも立地条件がよく、古くから城砦があった。
佐世氏が成長するに至ったのは応仁の乱以後と思われ、6代佐世為徳以降に築城されたものと思われる。
現佐世城の近くに出城として小木戸城があり、為徳が築城したという。
小木戸城は佐世城以前に佐世の本城であったといわれ、佐世城は後年佐世清宗が築城移転したともいわれる。
8代佐世清宗は尼子御家老衆のうち、宇山飛弾守に次ぐ重臣で備後内12万石を領していた。
永禄8年(1565年)、月山富田城の戦いの際には佐世清宗は月山富田城での守備に就き、佐世城の留守は佐世元嘉が守備していた。
父清宗が富田在陣中に毛利氏に攻められたが、元嘉は毛利方と適切な対応をして、流血する事無く処理しえたという。
また別説には永禄8年以前にすでに落城していたという説もある。
【構造】
佐世・金剛山は北東向きで凸字型をなし頂は高く突出している。この山頂に城櫓があったものと思われる。山の南側は平地になっており、そこは佐世氏の屋敷跡であったといわれる。さらにその麓は平野となり佐世川が流れている。この辺りには佐世氏の家臣が住み侍屋敷が多かったという。鍛冶もあり、金屋子神を祭る祠が残っている。
城の南方細長く小高いところに馬乗馬場があった。[続きを見る]
佐世城の口コミ情報
2017年09月09日 サクラガイ
佐世城
城の入り口付近に詳しい看板があったり、要所要所にも小さな看板が立ててあり、山の利点を利用した構造が理解しやすくなっています。初心者にはとてもありがたかったです。