佐世城(させじょう)
佐世城の基本情報
通称・別名
- 金剛山城
所在地
- 島根県雲南市大東町下佐世
旧国名
- 出雲国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- 不明
築城主
- 佐世清信
築城年
- 正中3年(1326)
主な改修者
- 佐世氏
主な城主
- 佐世氏
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、土塁、横堀
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
三刀屋氏城館(島根県雲南市)[6.9km]
金山要害山城(島根県松江市)[7.7km]
牛尾城(島根県雲南市)[8.4km]
高瀬城(島根県出雲市)[8.9km]
玉造要害山城(島根県松江市)[12.5km]
三沢城(島根県仁多郡)[12.6km]
茶臼山城(島根県雲南市)[13.2km]
半分城(島根県出雲市)[16.7km]
平田城(島根県出雲市)[17.8km]
日倉城(島根県雲南市)[18.3km]
佐世城の解説文
[引用元:Wikipedia「佐世城」の項目]
佐世城(させじょう)は、島根県雲南市大東町佐世にあった日本の城。戦国大名・尼子氏の家臣佐世氏の城。
歴史
佐世・金剛山は佐世氏の拠点で、いつごろ築城したかはっきりしていないが、佐世を支配管理し、また外敵に備えるのにも立地条件がよく、古くから城砦があった。 佐世氏が成長するに至ったのは応仁の乱以後と思われ、6代佐世為徳以降に築城されたものと思われる。
現佐世城の近くに出城として小木戸城があり、為徳が築城したという。 小木戸城は佐世城以前に佐世の本城であったといわれ、佐世城は後年佐世清宗が築城移転したともいわれる。
8代佐世清宗は尼子御家老衆のうち、宇山飛弾守に次ぐ重臣で備後内12万石を領していた。
永禄8年(1565年)、月山富田城の戦いの際には清宗は月山富田城での守備に就き、佐世城の留守は佐世元嘉が守備していた。 父清宗が富田在陣中に毛利氏に攻められたが、元嘉は毛利方と適切な対応をして、流血する事無く処理しえたという。 また別説には永禄8年以前にすでに落城していたという説もある。
構造
佐世・金剛山は北東向きで凸字型をなし頂は高く突出している。この山頂に城櫓があったものと思われる。山の南側は平地になっており、そこは佐世氏の屋敷跡であったといわれる。さらにその麓は平野となり佐世川が流れている。この辺りには佐世氏の家臣が住み侍屋敷が多かったという。鍛冶もあり、金屋子神を祭る祠が残っている。 城の南方細長く小高いところに馬乗馬場があった。
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佐世城の口コミ情報
2022年02月28日 安芸守 あきら
登山口[佐世城 その他]
しっかり案内が出ていて分かりやすいです。上には郭跡の公園があります。一応、車両も上がれます。利用者が居なければ短時間の駐車も可能かも。(地元の方にご迷惑をお掛けしないよう注意願います。)公園入口には案内板もあります。
2021年06月07日 九曜紋東市正。
佐世城
雲南市の整備推進委員会が設置する金剛山佐世城跡案内図に従い、城跡公園から、侍屋敷跡,物見櫓跡と進み、標高差 10m程度の城櫓跡へと登ったが、リア攻めならず。
城マークの示す方向に、一端、山を降り。城マークは佐世家九代の屋敷跡を示していると推測し、付近(城山の南)を彷徨っていた。畑仕事中の初老の紳士に出会い、お話しを伺うと、この辺り(城櫓跡南側の山の中腹)は、昔、妙昌寺(複数回移動している)があり、佐世正勝の菩提寺であったと話を聞いた。城跡について確認すると、先程登った城櫓跡が佐世城跡であると、改めて断言された。しかし、地域の歴史に詳しく、歴史好きだと言われた、この初老の紳士に、マップ上の城マークは、別場所を示していることを伝え、許可を頂き私有地の畑から、城櫓跡南側の山林へと入らせて頂いた。
現在は栗林となっている平坦な場所で、城マークを捉えることが出来た。
また、この山林には、他にも櫓跡とおぼしき平坦地を複数確認できた。
因みに、歴史好きだと言われた初老の紳士は、佐世氏の末裔ではないが、尼子一党に関係する子孫であると言われた。
ありがとうございました。
2017年09月09日 サクラガイ
佐世城
城の入り口付近に詳しい看板があったり、要所要所にも小さな看板が立ててあり、山の利点を利用した構造が理解しやすくなっています。初心者にはとてもありがたかったです。
佐世城の周辺スポット情報
金剛山佐世城跡(碑・説明板)
阿用城(周辺城郭)
金屋子神社跡・鍛治屋跡(寺社・史跡)
登山口(その他)