三刀屋氏城館(みとやしじょうかん)

三刀屋氏城館の基本情報

通称・別名

三刀屋氏城館[三刀屋城(尾崎城、天神丸城)・三刀屋じゃ山城(石丸城)]

所在地

島根県雲南市三刀屋町古城他(地図は三刀屋城を示す)

旧国名

出雲国

分類・構造

城館遺跡群

天守構造

築城主

三刀屋(諏訪部)扶長[すべて]

築城年

承久3年(1221)?[三刀屋城]、不明[三刀屋じゃ山城]

主な改修者

毛利氏、堀尾吉晴[三刀屋城]

主な城主

三刀屋氏[すべて]、毛利氏、堀尾氏[三刀屋城]

廃城年

遺構

曲輪[すべて]、天守台、石垣、登石垣[三刀屋城]、土塁、堀切[三刀屋じゃ山城]

指定文化財

県史跡(三刀屋じゃ山城跡及び三刀屋尾崎城跡)

再建造物

説明板[すべて]

周辺の城

茶臼山城(島根県雲南市)[6.3km]
佐世城(島根県雲南市)[6.9km]
高瀬城(島根県出雲市)[7.7km]
金山要害山城(島根県松江市)[10.7km]
半分城(島根県出雲市)[11.4km]
日倉城(島根県雲南市)[12.8km]
三沢城(島根県仁多郡)[13.0km]
牛尾城(島根県雲南市)[15.3km]
鳶ヶ巣城(島根県出雲市)[15.7km]
平田城(島根県出雲市)[17.0km]

三刀屋氏城館の解説文



三刀屋城(みとやじょう)は、島根県雲南市三刀屋町にあった日本の城。1986年(昭和61年)、島根県の史跡に指定された[1]

概要 

三刀屋城は、山陰と山陽とを結ぶ街道沿いに位置する交通上の要衝で、尼子方の拠点として尼子十旗の一つに数えられた。

三刀屋城の歴史は旧く、承久3年に三刀屋郷の地頭職に任じられた諏訪部扶長が築城したと伝わる。その後、扶長の末裔が三刀屋氏を称し、天正16年に三刀屋久扶が領地を没収されるまで、同氏が拠った。

慶長5年の関ヶ原の戦いにより、毛利氏が周防・長門二ヶ国に減封されると、替って封じられた堀尾氏が入城した。堀尾氏は当初、三刀屋城を改修しようと考えていたが、一国一城令により廃城となり、松江城へ移ったとされる。当時改修中の石垣が今でも現存しており、その大きさから、堀尾氏が松江城ではなく、三刀屋城を本拠にしようとしていたという説がある。

沿革 

  • 1221年(承久3年)諏訪部扶長により築城。
  • 1542年(天文11年)三刀屋久扶、大内氏に降る。
  • 1543年(天文12年)尼子方に復帰。
  • 1562年(永禄5年)三刀屋久扶、毛利氏に降る。
  • 1588年(天正16年)毛利輝元、三刀屋久扶の所領を没収。
  • 1600年(慶長5年)毛利氏に替り、堀尾氏が入城・改修。
  • 1986年(昭和61年)県の史跡に指定される。

三刀屋氏城館の口コミ情報

2024年06月05日 RED副将軍
三刀屋じゃ山城[三刀屋氏城館  周辺城郭]



360年以上に渡り当地を治めた三刀屋氏の旧居城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代は不詳。三刀屋氏により築かれたとされます。
三刀屋氏は、清和源氏満快流で信濃源氏の祖とされる伊那氏の系譜と云われます。承久の乱で活躍した諏訪部扶長が1221年に出雲国三刀屋郷の地頭職を与えられ下向し土着。諏訪部為扶が三刀屋氏と称し、居城として築かれたのが三刀屋じゃ山城です。
その後、三刀屋氏は360年以上に渡り当地を治めましたが、戦国時代になると支城であった三刀屋城(城山)に居城を移したと云われます。

見所
標高242mのじゃ山の山頂部に築かれています。
山頂一帯が主郭部であり周囲は鋭い切岸が巡り、主郭、二郭、三郭は堀切で区切られ城外側を削り残すことで土橋が架かっています。
城域の南端、東端、北東端はいずれも二重堀切で遮断。
西側は三重堀切となり外側の二条は畝堀となっていますが、風化により判別が難しいほど薄くなっています。いずれにせよ出雲では非常に珍しい譜勢です。
かなり技巧的な縄張りであり毛利氏による改修があったとの指摘もあります。

行き方は、城域南麓登城口があります。登城口まで舗装された林道が付いています。比高は約150mです。

城名の「じゃ山城」は一説には「城山(じょうやま)城」が訛ったものと云われます。

2023年12月05日 気分爽快豊後守
三刀屋氏城館



舗装路を登ると本丸に辿り着くが道幅は狭い。南斜面は藪もなく非常に見やすくなっていたが、櫓台付近とその東、北斜面は藪が酷く足を踏み入れるのは断念した。
西尾根の堀切を見て帰陣。
①本丸南の切岸
②本丸と二の丸との間の土塁
③本丸櫓台の石垣
④南の郭
⑤切岸を横から
⑥二の丸西には二重堀切
⑦西側の切岸
⑧①を下から見上げた

2022年12月01日 琉球守風のこうちゃん播守
三刀屋氏城館



宍道から国道54線を南下して訪問🤚南から北上して訪問すると、左手に「三刀屋城跡公園」の看板が見えます😳

本丸跡迄、アスファルト道路ですがかなり狭いですね😵

車で行かれるなら現地の駐車場止めて行かれる方が良いでしょう☝️

🏍の写真の所が本丸跡でここではUターンは厳しく、足元がかなり柔らかいです☝️

駐車場から本丸跡迄、徒歩5分以内です🤚

現地にトイレ有りの駐車場有り☝️

2022年07月25日 土支田大膳大夫
城名樋山城[三刀屋氏城館  周辺城郭]

城は城名樋山(きなびやま)山頂に築かれている。
主郭を山頂に構え、北の尾根と西の尾根に数段の曲輪を構える。北の尾根には堀切が4重に穿たれており、尾根で繋がっている妙見山との行き来を遮断している。また、西の尾根にも堀切が穿たれ、周辺には数状の竪堀が確認できる。

北の妙見山にも削平地があり、古代山岳寺院跡と言われるが、古城とも考えられているようである。妙見山山頂に主郭を構え、南の斜面や尾根筋に数段の曲輪が構えられている。

城は明らかに中世城郭であり、神話とは立地以外は無関係である。だが、中世の歴史は不明であるため、ここでは『出雲国風土記』に載る歴史を記す。
「因幡の白兎」の後、八十神(やそがみ、大穴牟遅神の兄弟神、因幡の白兎に嘘の治療法を教えた神)は八上比売(やがみひめ、因幡国八上郡の女神)に求婚していた。しかし八上比売は八十神に対して、大穴牟遅神(おおなむちのかみ、出雲大社の祭神、以下大国主神)と結婚すると宣言。そのため大国主神は兄弟神の八十神に殺されてしまう。その後、大国主神は根の国で素戔嗚尊(すさのおのみこと、八岐大蛇を退治した神)の試練を乗り越え地上へ戻る。この時に大国主神は素戔嗚尊の娘の須勢理毘売命(すせりびめのみこと、大国主神の正妻)を娶り、素戔嗚尊から太刀と弓矢を貰った。そして地上へ戻ると、大国主神は八十神を退治するべく、城名樋山(北の妙見山とする説もあり)に城(き)を築いた。そして、大国主神はこの城と素戔嗚尊からの太刀、弓矢を使い、ついに八十神を追い払った。

2022年07月18日 ビーンズマン左兵衛督
城名樋山城[三刀屋氏城館  周辺城郭]

城名樋山城は、雲南市役所の裏山の城。
出雲風土記に載っている山とも伝えられる。
山の裏手、浄化センター前に道路がつづいており、車でも軽自動車くらいなら頂上付近まで上がれる。駐車場もそこにある。四重の堀切が見物。
整備されていて気軽な気持ちでも登りやすい。

2021年09月05日 ビーンズマン左兵衛督
多久和城[三刀屋氏城館  周辺城郭]

道路沿いにある、看板の横から登れる。主郭には、小さな祠がある。
尼子家再興戦では、秋上氏等の武将が立て籠っていたが、吉川元春・小早川隆景等の軍隊の多さに、城に火を放って逃走した。

2021年06月07日 九曜紋東市正
三刀屋氏城館



眼下に北進する三刀屋川を見下す 50m程度の山頂部に存在する。
三刀屋川を下ると斐伊川に合流し、宍道湖に至る。上流方向に向かうと、赤穴瀬戸山城を経て、安芸,備後へと通じる交通の要衝地にある。
城山は、現在では、公園として整備され、山頂部迄、簡易舗装された道があり、途中迄は車で登城可(駐車場有り)。ただし、道幅は狭く、幾重にも曲がりくねっているので、対向車には注意が必要です。因みに、自分は、山道の傾斜と道幅を考慮して、徒歩での登城を選択しました。
登城の途中に、御衣黄があるが、訪れた季節が初夏であったため、"みどりの桜"を見ることはできなかった。

2020年10月09日 山城征夷大将軍碑前守
三刀屋氏城館

本丸まで車で行けます😙ただ対向車が来たら待避場なくヤバイです。

2019年05月22日 前後北条安房守ぷいちー
駐車場[三刀屋氏城館  駐車場]

ここまで車で上がれますが、対向車が来たら怖いので注意のこと

2019年05月22日 前後北条安房守ぷいちー
駐車場と説明板[三刀屋氏城館  駐車場]

こちらから歩いて上がると、右手に珍しい緑色の桜が見られます

2019年05月05日 愛甲太閤【相模の狂人】
三刀屋氏城館



本丸の東端には、一段盛り上がった櫓台が残っています。一見土盛りですが、近づくと夏草に埋もれかけた石積みの跡が姿を現します。特に日陰で夏草の薄い北側は崩れた石積みで全面覆われている様子に驚かされます。

2019年02月24日 織田上総介晃司
三刀屋氏城館

松江線の三刀屋木次ICから国道54号線を三次(広島県)に向けて進むと右側にあります。
橋を渡ってすぐ左折。細い道を進んで行くと馬場跡と本丸下に駐車場があります(トイレあり)

春は桜の公園となります。

三刀屋から松江に向けて進むと島根県下有数の温泉、玉造温泉があります。
リア攻めの汗を流すのはしばらく我慢…かな…

2017年09月09日 サクラガイ
三刀屋氏城館

少し道は狭いですが、車で本丸跡まで行けます。右手は山、左手は崖の切り立った急な坂道が続き、この城を攻めるのもなかなか大変だっただろうなと遠い昔に思いをはせました。古びた石垣が少し残っていてワクワクさせてくれます。

2015年11月17日 カーネル
三刀屋氏城館

木次線の木次駅から西へ。県道45号に出たら右折して北上。県道332号の看板が出たら左折して西へ
国道54号にでたらひたすら西へ。交通量が多いですが歩道が広いので安心です

三刀屋城の本丸へ行くためには山を上りますが、標識も多数あり、また最後まで舗装路なので迷うこともないです

行ったときは猛暑日だったのですが、麓にコンビニがあって命拾いしました
凄い特徴があるお城ではありませんが、なぜか印象に残ってるお城です

駅から往復2時間ちょっと、かかりました

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです


三刀屋氏城館の周辺スポット情報

 馬場跡(遺構・復元物)

 三刀屋城(周辺城郭)

 三刀屋じゃ山城(周辺城郭)

 多久和城(周辺城郭)

 城名樋山城(周辺城郭)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場と説明板(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 城名樋山城駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

 登城口(その他)

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