滝山城(たきやまじょう)
滝山城の基本情報
通称・別名
- 多芸山城、多喜山城、布引城
所在地
- 兵庫県神戸市中央区神戸港地方、葺合町、加納町1
旧国名
- 摂津国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 赤松則村
築城年
- 南北朝時代?
主な改修者
- 松永久秀
主な城主
- 赤松氏、松永久秀、池田泰長
廃城年
- 天正8年(1580)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
多々部城(兵庫県神戸市)[1.4km]
花隈城(兵庫県神戸市)[2.4km]
摩耶山城(兵庫県神戸市)[2.8km]
兵庫城(兵庫県神戸市)[5.0km]
平野城(兵庫県神戸市)[5.9km]
和田岬砲台(兵庫県神戸市)[6.3km]
箕谷城(兵庫県神戸市)[6.8km]
松岡城(兵庫県神戸市)[7.7km]
鷹尾城(兵庫県芦屋市)[10.4km]
落葉山城(兵庫県神戸市)[10.8km]
滝山城の解説文
[引用元:Wikipedia「滝山城」の項目]
滝山城(瀧山城、たきやまじょう)は、兵庫県神戸市中央区の城山にあった日本の城。山陽新幹線の新神戸駅の裏山、「布引の滝」の西に位置する。
概要
兵庫県神戸市中央区の城山の標高は316.5m、比高は約250m。開発が盛んな神戸の地にあって、遺構の状態は良好で30以上の曲輪群、堀切、土塁などが残っており、戦国時代の姿がそのままの形で残っている貴重な城跡である。
また城跡へは山陽新幹線の新神戸駅より左に登っていくハイキングコースが整備されている。
沿革
滝山城の歴史は大きく赤松氏時代と戦国時代に分けられる。
赤松氏時代
滝山城の築城年代は定かではないが、文献上の初見で、「正慶2年(1333年)4月より下向人申云、3月17日赤松入道京都七条まで打ちいるといえどもおしかえすべく、帝は六派羅の北殿に御入云々、赤松は本の生田の布引の城にこもる云々、その後八幡に陣を取る云々」(『正慶乱離志』)とあり、この「生田の布引の城」と記載されているのが滝山城の事である。
元弘3年(1333年)1月11日、大塔宮護良親王の命を受けた赤松則村(円心)は白旗城に挙兵して麻耶山城まで出軍し、千早城に立て籠もる楠木正成を援護し(元弘の乱)、自らも京都を狙っていた。同年2月11日に麻耶山城に六派軍をおびき寄せ、側面攻撃し六派軍を敗退(六波羅の戦い)させた。赤松軍はこれを好機と捉え、京都近くまで攻撃したが、今度は逆に六派軍に反撃され滝山城に立て籠もったようである。赤松軍は同年4月3日に滝山城を出撃して六派軍を攻撃したがまたしても敗れた。赤松軍は千種、結城軍の援軍を得て、六派軍を八幡、山崎で破り、5月7日に足利尊氏軍と協力して入京を果たした。
その後、滝山城の城主は円心の息子赤松範資になったり、後醍醐天皇方に渡ったり、再び範資の息子赤松光範に戻ったりした。
更にその後、滝山城や多々部城は南朝軍に何度か攻められたが、城の守りが堅く河内に引き返したと伝えられる。永徳元年(1381年)10月3日に赤松光範が死去すると、文明年間には赤松氏の家臣であった井上成陰が城主になっていたようだが、滝山城がどのようになったかそれ以外の詳細は不明で、一旦廃城になっていた可能性もある。
戦国時代
現在の滝山城に改修したのは松永久秀で、三好長慶が西摂の拠点として家臣の松永久秀に命じ大幅に改修させている。『細川両家記』によると、弘治2年(1556年)7月10日に久秀は長慶を堺から滝山城に招き、歌舞音曲、千句音曲、能でもてなしたという記載が見受けられ、この頃が滝山城の全盛期で越水城も支城としていたようである。
永禄7年(1564年)7月4日に長慶が死去すると、滝山城の運命も大きく変化する。後継をめぐって三好三人衆と久秀が争うことになる。
滝山城の戦い
三好長慶の死後、跡目は甥の三好義継となったが養子という事やまだ幼いこともあって、後見に三好三人衆と共に重臣であった松永久秀がなった。
長慶の死後、三好氏が弱体しているのを察知した室町幕府13代将軍足利義輝は、役職を与えるなどして幕府の権威回復に力をつけてきた。これに危機感を覚えた三人衆は将軍暗殺を計画。永禄8年(1565年)5月19日に義輝を討ち取るという大事件(永禄の変)が発生した。
三好政権の障害となっていた義輝を排除したものの、これ以降三人衆と久秀との間で政権内の主導権争いが顕在化していく。
永禄9年(1566年)2月、三人衆は安宅信康に命じて淡路水軍を率いて滝山城攻略を開始した。この時の守将は不明(久秀は不在であったという説もある)であるが、城の守りは非常に固く11名の首を打ち取っただけで兵を引いた。その後しばらくは膠着状態が続いていたが、安宅軍に三木氏、明石氏、衣笠氏などの播磨勢の援軍が到着、水の手を切り同年8月17日総攻撃を仕掛け、ついに落城させた。
- この戦いの後の状況については東大寺大仏殿の戦い#転機を参照。
廃城
その後三人衆方であった篠原長房が城主となったが、織田信長が永禄11年(1568年)9月28日に三人衆の1人三好長逸が立てこもる芥川山城を落城させると、篠原軍も滝山城を放棄した。その後花隈城の支城となり池田泰長が城主となったようだが、荒木村重の謀反(有岡城の戦い)により花隈城に立て籠もった時(花隈城の戦い)には、滝山城はすでに放棄されていたと思われており、逆に織田方の攻略の拠点として使用されたようである。
花隈城の落城を最後に滝山城の記録に現れてこないため、花隈城の落城と同時期に約260年の歴史に終止符を打ったと推定されている。
城郭
滝山城の城郭は主に3つのブロックから成り立っている。
東曲輪群
新神戸駅より左に登っていくハイキングコースで、最初に見受けるのがこの東曲輪群になり、最高所302.8mそこから南東に伸びる尾根沿いに曲輪を配置している。当時の大手通もこちらからと推察され、最高地を本丸と見立てこの東曲輪群だけで独立した城郭として機能した可能性もある。またこの東曲輪群の最高所には櫓台らしき建造物の可能性も考えられる。
中央曲輪群
中央曲輪群の最高所は316.5mでこちらにも櫓台らしきものが推定でき、現在は「史跡 滝山城址」という石碑が建っている。また東曲輪群との間には堀切があり、尾根沿いからのくる侵入者を防ぐ。また西曲輪群との間にも堀切と土橋らしきものが確認できる。最高所から南東および北東に延びる尾根沿いに曲輪群が構えられている。
西曲輪群
西曲輪群の最高所は318.9mで中央曲輪群の背後になるため、山方面からの防御機能として備えたと考えられる。西曲輪群と中央曲輪群間には二重堀切も確認できる。また西曲輪群は大幅な改修はされず南北朝時代からそのままの形で残った可能性も指摘されている。
居館推定地
三好長慶を堺から滝山城に招き能でもてなした場所は、かなり大きな施設が必要であったと推定される。記録上では詳しい記述は残されていないが、徳光院および神戸第一高校周辺が平坦地の居館として考えられている。
城跡へのアクセス
- 公共交通機関でのアクセス
- JR 神戸線 三ノ宮駅 → 神戸市営地下鉄 新神戸駅
- 車でのアクセス
- 阪神高速 神戸線 京橋IC → 新神戸駅方面
- 新神戸駅および周辺に多数コインパーキング有り
- 徒歩でのアクセス
- 新神戸駅 → 徒歩 → 城山山頂 約50分
参考文献
- 『日本城郭大系』第12巻、大阪・兵庫、新人物往来社、1981年3月。
- 戦国合戦史研究会『戦国合戦大事典』六、新人物往来社、1989年2月。
- 兵庫県民俗芸能調査会『ひょうごの城紀行』下、神戸新聞総合出版センター、1998年12月。
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滝山城の口コミ情報
2024年04月02日 勘解由長官ピッコ丸
滝山城
滝山城跡の石碑は、新神戸駅裏の登り口にもあります。北野の異人館街裏からも登れますが、何れにしてもハイキング程度の準備は必要だと思います。
2023年08月09日 ほずみ
滝山城
山城のわりには登りやすく楽しかったです。土塁や空堀など見所も沢山です!
2022年06月15日 巴御前主税允
滝山城
本丸までの登城は2ルートありますが、現在、布引の滝経由ルートからの道が途中から通行止めになっています。地蔵のある1ルート(最初の分岐点)からは攻城可能です。
2022年06月07日 上田図書頭雪娘
滝山城
三宮からバスで二本松まで移動し、西曲輪から見学して、布引の滝を経由し新神戸に下山しました。登りはほぼ無しのコースでした。
2022年05月16日 583系備前守きたぐに
滝山城
徒歩攻めしかできない立地にあります。新神戸駅の裏からすぐ登山道に入り、徒歩約20分で到着します。新神戸駅新幹線改札からだとエスカレーターを一つ降りたフロア、地下鉄からだと新幹線方面改札口からエスカレーターに乗り、地上階に出たフロア(高速バス乗り場の階)を新大阪方面(海に向かって左)に進むと布引の滝方面の表示があります(写真参照)。そこを右に曲がって駅裏にでると、すぐに滝山城跡1.2キロの看板があります(写真参照)ので、あとは登山道を歩いて登るだけ。そこからすぐに登山道に入ります。飲料、食料を購入できるのは新幹線改札口前にある駅ナカコンビニが最後です。
滝山城は鎌倉末期から南北朝時代の武将赤松円心が築き松永久秀が改修した城で、幾度となく、籠城戦を耐え抜いてきたとされています。実際、ハイカーとして登った感覚でも、曲輪に着いたら水飲んで一息入れてと思うほどで、とても草鞋履きに甲冑を着けて武器を担いで登って、敵襲を避けながら攻撃しようかという気持ちにはならないだろうなと思う程です。また、土塁や堀切もぱっとみでわかる程良好に残ってます。
2021年05月26日 wacky左衛門佐
滝山城
まず、JR新神戸駅の観光案内所にある布引の滝のパンフレットをゲットして下さい!これがあれば大丈夫です👌。1箇所目の城山表示に進むとひたすら登るだけの道なのでキツいです(約20分)。布引の滝からの方が、森浴を楽しみながらいけるので2箇所目の表示に進んだ方がよいと思います♪城山のみのだと所要時間は約1時間です。
2021年01月03日 かしよし讃岐守1181
滝山城
新神戸駅から北に伸びるハイキングコースを城山という案内にしたがって数十分登ると滝山城の案内板があります。そこからすでに城跡となり山頂の本丸跡に石柱があります。山城ならではの風情が楽しめます。
2020年10月21日 百済門徒衆修理大夫とら
滝山城
滝山城、見くびってました❗️
新神戸駅裏山なので、楽々登城と思いきや、最初からなかなかの急斜面の階段が続きます。
10月中旬の天気の良い日で、汗だくになり、駅から住宅前を横切る登城路で、本丸跡までゆっくりで1時間かかりました。
規模も予想以上に広いです。石垣も多数残っています。竪堀も、堀切も見応えあります!
観光地の布引の滝から近いのですが、こちらはほとんど人は来ないです。独占状態で満喫いたしました!
本丸の見晴らしは良くないですが、途中、神戸の町と海を見渡せる場所があり、道中楽しめます。
折角、駅から近くでハイキングコースにもなっているのだから、もう少し説明板なり整備したらと思いました。神戸市民の方はどう思われるでしょうか?
2020年10月20日 百済門徒衆修理大夫とら
徳光院[滝山城 寺社・史跡]
この地で、松永弾正が三好長慶、他に当時の文化人を招き、連歌滝山千句を催した。徳光院は当時には無く、明治になってから建てられた。かつてこの地には、役行者創建の滝寺があり、七堂伽藍と70有余の僧坊末寺を有し隆盛を極めた。
2020年01月24日 まー刑部卿
滝山城
新神戸駅から布引の滝方面へ行くと登城口あります。ウリ坊ですが徳光院付近で見かけましたが親の猪は見かけませんでした。
布引の滝を見てから城跡へ行こうと思いましたがチェックアウトに間に合わなくなり案内図を撮って断念。また昨日の雨でぬかるんでいました。
2019年09月05日 ( *¯ ³¯)っ旦
滝山城
この城は恐ろしい!
呪われ下山できぬときがある。
気をつけるのじゃ!
猪に…。
基本、登城ルートにいる猪は人馴れしていません。
逃げてくれたら良いのですが、
荒々しい声というか、鼻を鳴らして威嚇されることもあります。
瓜坊は人に対して珍しげに近寄ってきたりしますが、近くに親猪がいると危険なので追い払ってください。
私は親猪と遭遇し、下山したいのに九十九折の下から威嚇され足踏み状態になったことがあります。
新神戸駅方面から登り口が三ヶ所あります。
とりあえず新神戸駅で一階に降りて
正面ではなく、横の東側扉を出て、
歩道の無い道で新神戸駅の下をくぐり北側に出ます。
布引の滝方面へ坂を登ると
1・一つめの「城山」登り口が出てきます。
実は此処はハズレ。
アップダウンのあるコースで堀切らしきものも見受けられますが
遺構の少ない登り口です。
2・一つめの登り口をスルーしてほんの10数m登るとまた「城山」方面の標識の登り口があります。
家のすぐ横を迂回するような登り口でしたら正解です。
このコースは曲輪が多数あり、切り通しのようなところもあります。
曲輪の端まで行って見ると
「登ってくる敵をこの上から攻撃するようになってる」
「此処を突破しても更に正面の曲輪から攻撃できるようになっている」
など楽しいと思います。
3・布引の滝 (この滝、川も要害)を経由して川添いに登っていくと「かづら橋」を真似たつまらん鉄橋がありますので渡りますと素晴らしい見晴らしで、敵の侵入を警戒する見張り地であったのがわかります。
2、3は本丸手前の切岸のような所で合流します。
竪堀、石垣が無くなったと思われる素晴らしい土塁、曲輪を経由して天守にたどり着くとそのまま反対方面から登ってくる道と合流します。
それが1からの登り口です。
勇者のみなさん、気をつけてね〜!
2019年03月08日 ドラガン尾張守店長
滝山城
近くにある再度山に登った後、布引の滝を見に行くついでに登城。
かなり勾配がキツく、崖っぷちも歩かされる。
新神戸駅のすぐ北側にあるものの、本格的すぎる山城跡で正直驚く。
赤松円心・後醍醐天皇・松永久秀・三好三人衆・荒木村重、そして織田信長の手に渡った滝山城。
それも今や昔の、堅固な名山城跡でした。
2017年01月31日 【G6】OROKA参議
滝山城
新神戸駅のバスロータリーから裏に回り、布引の滝方面に向かうと城跡の案内があります。30分ほどキツい山道ですが、布引の滝の奥からも登れます。時間はそんなに変わらず、こっちの方が道は安定しているかも。
頂上付近に来ると、大きな堀切と立派な郭群が出迎えてくれるのでテンション上がります!そして、意外と広くて驚かされました。こんな神戸の街のそばに…ギャップ萌えですな。
本丸には碑があり、背後には大きな堀切がありました。なかなか見応えのある素晴らしい山城です。
ついでに布引の滝も見学することをオススメします。とても満足です♪
2013年05月08日 左近衛大将貴景
滝山城
新神戸駅の北側に登城口があります。そこから、本丸まで30分ほどで登れますが、急な斜面なので、非常にハードです。5月に登城したのですが、枯れ葉が多く、足下が滑るので、トレッキングシューズじゃないと下りは非常に危険です。