国府台城(こうのだいじょう)

国府台城の基本情報

通称・別名

市川城、市河城、鴻之台城

所在地

千葉県市川市国府台3-3-1他

旧国名

下総国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

築城主

太田資忠

築城年

文明11年(1479)

主な改修者

主な城主

太田氏、千葉氏、里見氏、北条氏

廃城年

天正18年(1590)

遺構

堀、土塁、井戸

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

松戸城(千葉県松戸市)[3.4km]
相模台城(千葉県松戸市)[3.9km]
葛西城(東京都葛飾区)[4.0km]
大野城(千葉県市川市)[5.4km]
一之江名主屋敷(東京都江戸川区)[5.6km]
城ノ台城(千葉県船橋市)[5.9km]
葛西清重館(東京都葛飾区)[6.0km]
金ヶ作陣屋(千葉県松戸市)[6.4km]
小菅御殿(東京都葛飾区)[7.5km]
石浜城(東京都荒川区)[8.4km]

国府台城の解説文



国府台城(こうのだいじょう)は、千葉県市川市国府台付近にあった日本の城。別名市河城・鴻之台城とも。ただし市河城(市川城)に関しては、国府台城東側の真間山(現在の市川市真間)上の弘法寺付近にあったともされ、別の城、あるいは存在時期からみて、元となった城とみる説もある。

概要 

太日川(現在の江戸川)と坂川の合流地点に隣接する標高20メートル~30メートルほどの河岸段丘上端にあり、南北650メートルほど東西150メートルほどの細長い城域で、連郭式の平山城を構えるには適した場所であるといえる。

城の歴史 

市河城(市川城)は、享徳の乱の初期に発生した下総千葉氏の内紛の際に、宗家側の生き残りであった千葉実胤・自胤兄弟が籠城したが、1456年(康正2年)に陥落(市川合戦)、水運にて栄えた市河津を背後に持ち府中として栄えた市川は大きく衰退し、軍事的・経済的な要所は宗家方勢力(武蔵千葉氏)が落ち延びた武蔵国石浜城江戸城、反宗家勢力(下総千葉氏)の拠点の1つであった小金城に移ることになる[1]

国府台城のは、その後、扇谷上杉家の家臣であった太田道灌が1478年(文明10年)12月に武蔵千葉氏を継承した千葉自胤を援けて下総国境根原(現在の千葉県柏市酒井根付近)での合戦を前に、国府台の地に仮陣を築いたことに始まる。この際に城地として相応しいと見立て、翌1479年(文明11年)に臼井城にいた千葉氏の千葉孝胤を攻めた際、道灌の弟太田資忠らが、この地に城を築いたと記録に残る。

当城は要所であるが故に後北条氏、千葉氏、高城氏と里見氏、太田氏、上杉氏らの度重なる勢力争いの舞台となっており、争奪戦が繰り返され(国府台合戦の項参照)、城もまた堅固な城郭として整備された。しかし、豊臣秀吉による小田原征伐後、後北条氏に代わって江戸に入府した徳川家康によって廃城にされた。江戸を見下ろす場所にあったからとも言われている。

現在の城 

1727年(享保12年)に徳川吉宗によって、関宿からこの地に曹洞宗總寧寺が移され、1885年(明治18年)には陸軍教導団病院が設置された。この病院は後に陸軍衛戍(えいじゅ)病院などを経て、現在は国立国際医療研究センター国府台病院となっている。また、太平洋戦争時に總寧寺と江戸川に挟まれた樹林には、陸軍の手で多くの防空壕が作られた。その後、1958年(昭和33年)9月にこの付近は「里見公園」として整備され、桜の名所となった。そのため、特に病院の跡だった城の南半分は原型を留めていない。残りも多くは住宅街となっているが、堀切や空堀、土塁跡はよく残っており、櫓台の跡も確認できる。

明戸古墳 

国府台城周辺には古代から集落があり、古墳も非常に多くあった。現在の里見公園内にも前方後円墳の跡があり、明戸古墳と呼称される。

この古墳は1479年(文明11年)の太田道灌による千葉孝胤攻撃の際、道灌が仮陣を築くために古墳の盛土を取り除いたことで消滅し、2基の緑泥片岩製の箱型石棺が発見されたと伝わる[2]。この2基の石棺は1962年(昭和37年)6月11日に市川市指定有形文化財となり、現在は公園内に保存されている[3]

参考文献 

  • 長塚孝「戦国期関東における府中の一様態」(佐藤博信 編『関東足利氏と東国社会 中世東国論:5』(岩田書院、2012年) ISBN 978-4-87294-740-3)

国府台城の口コミ情報

2024年03月14日 兵部大輔きんさん
国府台城



松戸駅から市川駅行き京成バスで国府台病院で下車徒歩5分ぐらいでつきます。石垣は公園整備で創作されたものでしょうが、所々に当時の物のような石が見られます。江戸川越しのスカイツリーは絶景です。

2023年03月23日 マタローちゃん式部大輔
国府台城



松戸街道から国府台病院の交差点を西に曲がり、並木道を進むと右側に現れる。車の場合、さらに進んで江戸川土手にぶつかり右折すると結構広い駐車場がある。その駐車場付近から細い急階段を上がる事でも城にたどり着ける。城址公園として整備されており、堀・井戸・土塁などが残っている。桜の季節は花見客で賑わう。

2023年03月20日 カネゴン大膳大夫
国府台城



国府台城跡のある里見公園は市川市では桜🌸で有名です。遺構としては土塁が残るのみですが…2度に渡る国府台合戦があった城です。直ぐ近くを江戸川が流れているので経済圏を確保するためにも重要な拠点だったのでは?と考えてしまいます。

2022年10月30日 マークⅡ弾正大弼政宗
国府台城



京成本線国府台駅から出てすぐに、江戸川土手に通じる歩道橋渡り、晴天の中で気持ち良く歩いて10分余りで城跡のある里見公園にのぼる階段に着きます。すぐに立派な石垣が目に入り、そこには里見広次他の亡霊碑と伝説の夜泣き石があります。公園の入口近くには、地元の方が手入れしている綺麗なバラ園があります。

2022年07月19日 HAL2000上総介
国府台城



江戸川沿い、丘を上がっていくと国府台城の跡地があります。湧き水が気持ちよく、頂上には前方後円墳もあります。

2022年04月20日 NECHAMA
国府台城



下総台地の西のヘリに、古くは国分が置かれた地に国府台城が築かれていたとされる。江戸川からの高台にこんもりと森林で覆われ、近くまで迫る住宅街から一線を画した城跡が今も残る。城跡は今や里見公園として市民に愛される場所になっているが、園内に残るしっかりとした石垣が、当時の要害さを想像させる。

写真は、里見公園内と隣接した江戸川(左端に国府台城の一部が)

2021年09月20日 トライオン左近将監
国府台城

駐車場が下にあり、そこから階段で上に登れます!

2021年07月10日 長森原
国府台鳥瞰図・説明板[国府台城  碑・説明板]



国府台城跡にある里見公園の外壁に、錦絵「利根川東岸弌覧」の複製画が嵌め込まれています。
この絵は1868年に歌川貞秀によって描かれたもので、これを見ると今から150年前の旧利根川(現・江戸川)や国府台周辺の風景・地形について窺い知ることができます。

現代とは違って、かつての国府台の台地下は真間川の河口が奥深く入り江となって湿地帯が広がっており、国府台から上総に向かう道は砂州と砂州を「継ぎ橋」で結んだものでした。

絵画ですのである程度誇張がなされていると思われますが(崖の高さや入り江の広さ等)、往時の国府台城が今よりはるかに要害地形であったろう事が想像できます。

里見軍の軍用水だったという「羅漢の井」や、万葉集に歌われた「真間の継橋」を、錦絵での描かれ方と実物を比較して見て歩くのも面白かったです。

2021年03月29日 うっちー外記幸村
国府台城

今は公園となり、遺構もないが、里見、北条などが争った激戦地であったことを忘れないように。
江戸川沿いに築かれた城で、どの大名もこの城を欲しがったことだろう。単郭式のように、郭が少なく、「城」として見るには小さい。近くの松戸城も激戦地で、同じような歴史を辿っている。


2021年03月29日 うっちー外記幸村
国府台城

今は公園となり、遺構もないが、里見、北条などが争った激戦地であったことを忘れないように。
江戸川沿いに築かれた城で、どの大名もこの城を欲しがったことだろう。単郭式のように、郭が少なく、「城」として見るには小さい。近くの松戸城も激戦地で、同じような歴史を辿っている。


2021年02月17日 瑞大光之介
国府台城



早春の郭内には普段は余り目立たない五百坪弱の梅園が置かれるも爽やかなかほりで戦国時代の北条と里見との角逐の地だったことを健気に伝えている。

2020年12月13日 大竹安房守
国府台城

国府台城趾は、5メートルくらいの盛り土と夜泣き石や堀の跡と考えられる地形がありました。


2020年10月06日 橘出羽守太郎政貴
国府台城

河岸段丘上の要衝に築かれているのが実感できます。

2020年08月21日 山葵 上総介
国府台天満神社[国府台城  寺社・史跡]

かつては城郭の一部だった時期もあり、太田道灌がこの地の鎮守として創建した神社。

2020年08月21日 山葵 上総介
総寧寺[国府台城  寺社・史跡]

かつては城郭の一部だった時期もあるお寺。江戸城無血開城後、一時的に新撰組が滞在したと伝わっています。

2017年07月30日 マッキー上総介ペン@自転車
国府台城

市川橋を過ぎて江戸川サイクリングロードからすぐ。サイクリングロードのから公道に入るとき、きつめの坂があるので自転車の人は要注意。

2013年04月11日 ピカドラ
国府台城

金曜日に花見がてら京成国府台駅から江戸川堤防路を辿る。河岸段丘上に連郭を構築する縄張りを窺う。石組の泉水階段を登り薔薇園を通り明戸古墳に合掌。この高台辺りが本曲輪と比定し戦国時代の香を賞味。坂を下り河畔に咲く梨華を愛でながら矢切の渡しに到る。200円の舟旅を楽しみ柴又帝釈天を参詣して解散

2012年01月22日 ビバちゃん
国府台城

良く整備された公園で城跡の他に古墳もあり、近くに矢切の渡しもあります。また梅園もあってこれからの季節、散歩にはもってこいです!


国府台城の周辺スポット情報

 市川関所跡(遺構・復元物)

 明戸古墳石棺(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 下総国分寺跡(碑・説明板)

 真間の継橋(碑・説明板)

 下総国総社跡(碑・説明板)

 国府台鳥瞰図・説明板(碑・説明板)

 国府台合戦説明板(碑・説明板)

 国府台城跡(碑・説明板)

 里見軍将士亡霊の碑、夜泣き石(碑・説明板)

 総寧寺(寺社・史跡)

 国府台天満神社(寺社・史跡)

 国分尼寺跡(寺社・史跡)

 羅漢の井(寺社・史跡)

 矢切の渡し(寺社・史跡)

 矢切の渡し(寺社・史跡)

 矢切神社(寺社・史跡)

 矢喰村庚申塚(寺社・史跡)

 道の駅いちかわ(御城印)

 いちかわ観光物産インフォメーション(御城印)

 4号トイレ(トイレ)

 古代東海道(その他)

 推定渡河点(その他)

 アイ・リンクタウン展望施設(その他)

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