大野城(おおのじょう)

大野城の基本情報

通称・別名

御門城

所在地

千葉県市川市大野町3-1918他

旧国名

下総国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

平将門?

築城年

平安時代中期?

主な改修者

主な城主

平氏、曾谷氏(千葉氏家臣)、大野原氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

中沢城(千葉県鎌ケ谷市)[3.2km]
城ノ台城(千葉県船橋市)[4.4km]
金杉城(千葉県船橋市)[4.6km]
金ヶ作陣屋(千葉県松戸市)[4.8km]
国府台城(千葉県市川市)[5.3km]

大野城の解説文

大野城(おおのじょう)は、下総国葛飾郡(現在の千葉県市川市大野町)に存在していた中世の城。

概要
伝承によれば、平将門によって築かれたとされ、城の近くには将門が建立したとされる天満天神宮が伝えられるが、戦後に行われた調査によれば実際には中世期の城とされている。

鎌倉時代には日蓮の庇護者としても知られている千葉氏家臣曾谷教信が大野の地を支配していたとされ、付近には中山法華経寺など日蓮宗寺院が多い。確実に大野城を用いていたとされているのは、享徳の乱の過程でこの地域に進出してきた原氏庶流のいわゆる「大野原氏」と呼ばれる人々である。近くの本光寺の山号である光胤山は大野原氏の原光胤に由来すると言われている。

その後、大野城付近の支配は原氏からその重臣である小金城高城氏に移り、遅くても同氏が改易された小田原征伐までには廃城になったと考えられている。

現在でも市川市大野町3丁目の「城山」の一帯には、御門・殿台・馬寄場・根古屋などの中世城址をしのばせる地名が残っている。

遺構
現在は遺構が残っておらず、城の主要部であったとされる地帯は市川市立第五中学校の敷地となっている。

大野城の口コミ情報

ピカドラ様[2011年08月04日]
城山の頂きは五中の敷地、見学申請したら若い先生が快く案内してくれました。西北面には土塁-空壕が残ってる。職員室の裏側、将門の首塚と伝承される古祠には供花が絶えない由。

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore