葛西清重館(かさいきよしげやかた)

葛西清重館の基本情報

通称・別名

所在地

東京都葛飾区四つ木1-25-8(西光寺)

旧国名

武蔵国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

葛西清重

築城年

鎌倉時代

主な改修者

主な城主

葛西氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

説明板(葛西三郎清重の遺跡)

周辺の城

石浜城(東京都荒川区)[2.4km]
葛西城(東京都葛飾区)[3.0km]
小菅御殿(東京都葛飾区)[3.2km]
寛永寺(東京都台東区)[5.6km]
中曽根城(東京都足立区)[5.6km]

葛西清重館の解説文

葛西清重館は、その名の通り葛西清重の居館であったとされる。

葛西清重は、平安時代末期から鎌倉時代に掛けて武蔵国豊島郡を領有した武将である豊島清光(清元)の3男で、葛西氏を称して下総国葛西荘を本拠としていた。

後に源頼朝に従い、奥州藤原氏攻めで戦功を挙げるなど活躍した人物であった。

晩年になり出家し、居館があった場所に創設したのが今も当地に残る西光寺であると言われる。

葛西清重館の口コミ情報

佐野式部少輔藤原朝臣氏胤様[2018年06月19日]
四つ木
四ツ木の由来の一つに源頼朝が通過したのが四ツ過ぎだったという説がある。四ツ木には古代東海道が通っていたとされるので、頼朝が通過した事はおそらく事実だろう。四ツ木の地名がはっきりと出てくるのは承応3年(1654)、四ツ木新田が立石村から分村した時である。徳川期以前の四ツ木については力不足でよく分からなかったが、西光寺が永禄7年(1564)に国府台の合戦で兵火にかかり、更に幾度もの水害で無住状態となったというので、戦国の動乱の中で荒廃していたものと思われる。江戸期の四ツ木には本所上水と綾瀬川が交差し、農村地帯ながら曳舟の始点として舟運が栄えた。曳舟とは舟と川岸の引手を綱で繋いだ「舟の人力車」と言える代物で、四ツ木~亀有間で運行された。西光寺や浄光寺、帝釈天への観光客が利用する風物であったと言う。江戸後期からは堀切村の東側で小高家により、花菖蒲の栽培が始まり、話題となる。明治に入ると堀切村・篠原村(四ツ木の東側)で観光花菖蒲園がいくつも開園した。現在では、堀切菖蒲園を残すのみだが、毎年6月には葛飾区北部の水元公園とともに菖蒲まつりが開かれ、賑わいを見せている。

佐野式部少輔藤原朝臣氏胤様[2018年06月19日]
二つの西光寺
親鸞は関東教化の折、葛西清重の館に留錫して、阿弥陀如来の像を与えた。清重は随喜のあまり弟子となり、西光房と号して宅地内に寺を建てた。これが西光寺の始まりであるとされる。西光寺のある四つ木の北、海抜ゼロメートル地帯となった現在でも、周辺より僅かに高い土地が点々と存在する宝町にも、西光寺という寺がある。境内には親鸞が袈裟懸けした松があったといい、寺伝によると、元仁元年(1224)西光房善慶(葛西清重)の草庵に始まるという。宝町は元々「寳木塚」という地名であり、「寳木」とは親鸞が袈裟懸けした松の事であるそうだ。名前に「塚」とある事と、柴又や立石に古墳がある事から、この周辺にも古墳があったのではないかという説もある。二つの西光寺の関係としては「約20年に及ぶ東国布教の折、東海道を進んでいた親鸞は道沿いにある領主葛西清重の館に滞在し、親鸞の弟子となった清重は館内に寺を創建した。滞在中、東海道を北に外れた微高地にある集落に布教に向かい、そこに自生する松に袈裟懸けを行った。清重は後にそこに草庵を設けた。館の寺と草庵は後世も残り二つの西光寺となった。」と言った所だろうか。

佐野式部少輔藤原朝臣氏胤様[2018年06月19日]
葛西清重
葛西清重は豊島清元の三男として誕生、兄の豊島有経が家督を継ぐと、葛西荘を継いで葛西氏を名乗った。治承4年(1180年)源頼朝が安房で再起を図る際、使者を送った者の中に父とともに含まれる。特に頼朝は清重を「忠節の者」とし、参向を期待していた様だ。千葉常胤・上総広常を具して武蔵国に入ると清重は父とともに真っ先に参陣、平家との戦いに参加した。平家滅亡後は奥州征伐に出陣、戦後は伊澤・磐井・牡鹿等の郡のほか、数箇所の所領を拝領し、奥州における最高責任者たる奥州総奉行に任命された。その後は奥州・京・鎌倉で頼朝を助け、頼朝没後は将軍、執権北条氏を支えた。源氏の一族か血縁に限られていた壱岐守に任官するなど、相当に重用された様だ。清重が出家し、壱岐入道定蓮と名乗ったのは承久3年(1221)頃と見られ、吾妻鏡では承久の乱の記載に出家後の壱岐入道として名が出ている。貞応3年(1224)北条政子が泰時邸にて、将軍家に忠節を尽くす事を依頼した宿老達の中にその名が出たことを最後に、清重の名は吾妻鏡から消える。清重がこの世を去ったのは嘉承3年(1237)または、暦仁元年(1238)頃と見られている。

佐野式部少輔藤原朝臣氏胤様[2018年06月19日]
葛飾区四つ木、国道6号線沿いに位置する西光寺が葛西清重館跡とされる。この周辺の地形は東京都内で最も人の手によって変化したと言えるのではないか。曳舟が行われた本所上水は埋め立てられ、大正から昭和にかけて荒川放水路が引かれ、地盤沈下によって荒川周辺は海抜ゼロメートル地帯となった。このような土地で一千年近くも昔の痕跡など見つかるのだろうかと思ったが、存外、鎌倉以前の寺社も多く残されていた。四つ木から立石を東西に通っていた古代東海道沿いの西光寺(四つ木)・南蔵院(立石)・立石熊野神社(立石)、最澄や貞辰親王に関わりのある浄光寺(東四つ木)・王子白髭神社(東四つ木)、源頼朝ゆかりの葛飾氷川神社(堀切)・若宮八幡宮(四つ木)、葛西氏ゆかりの普賢寺(東堀切)・西光寺(宝町)等、荒川開削により本来の土地から移動した物も多いが、その数の多さから古代の葛飾の姿が思い浮かぶ程である。西光寺は古代東海道の沿道にあり、周囲には葛西清重夫妻を葬ったとされる清重塚がある。

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