青松山金剛院正福寺
青松山金剛院正福寺([葛西清重館 寺社・史跡])
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青松山金剛院正福寺の口コミ情報
2021年05月01日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤
行基が現在照明寺が置かれている場所に創建。治承4年、頼朝がこの地に陣を張った所、葛西氏を始め多くの御家人が参陣。これを神仏の加護によるものとした頼朝から寺領50石を寄進されたと云われる。
『吾妻鏡』によると、頼朝は10月2日に太日川・隅田川を渡り、豊島清元・葛西清重と合流、「隅田宿」に入った。頼朝は「鷺沼宿」から「隅田宿」へと移ったとみられ、鷺沼は葛飾区新宿とも習志野市鷺沼ともされる。頼朝は9月17日に下総国府で千葉常胤と合流、9月19日に隅田川の川辺で上総広常と合流した。9月28日には江戸重長へ参陣要請の使いを出す一方で、翌日には葛西清重に重長の暗殺を命じている。房総平氏との合流前後の9月中は武蔵国への工作を行っていたとみられ、その間は国境付近を転々としていた事が考えられる。その最中で正福寺にも宿泊した可能性はある。